落語昭和の名人決定版 柳家小さん(壱)
--人間国宝は自然体
昭和30年代は空前の落語黄金期。寄席に加えて、選りすぐった演者の芸をじっくり堪能する主旨で始まった〝ホール落語〟が全盛だった。ホール落語の高座が名人の証明・評価にもつながったが、常連には五代目古今亭志ん生(ここんていしんしょう)、八代目桂文楽(かつらぶんらく)、三代目三遊亭金馬(さんゆうていきんば)、六代目春風亭柳橋(しゅんぷうていりゅうきょう)、八代目林家正蔵(はやしやしょうぞう)、八代目三笑亭可楽(さんしょうていからく)、六代目三遊亭圓生(えんしょう)、三代目桂三木助(みきすけ)らがいた。いずれも明治生まれの噺家である。その名人の列に、はるか年下の大正生まれの噺家がひとり名を連ねていた。
後年、落語界初の〝人間国宝〟にも認定される五代目柳家小さん(こさん)である。親交のあった、演芸評論家の矢野誠一(せいいち)さんは言う。
「昭和の落語黄金時代を築き上げた名人として語り継がれる噺家のなかでは、小さんはいちばん若い。志ん生は25歳年上、義兄弟の契りを交わしていた盟友の三木助とも15歳近くの開きがあった。にもかかわらず、昭和25年に35歳で小さんを襲名してから、すぐトップ集団のなかに入って、つねに互角の立場で最前線を走りつづけた。小さんは若くして、その実力を認められた噺家です」
もっぱら得意としたのは『時そば(ときそば)』や『長屋の花見(ながやのはなみ)(ながやのはなみ)』などに代表される、笑いを主体に市井の暮らしを活写した滑稽噺(こっけいばなし)である。
「寄席で聴くのにふさわしい噺がほとんどです。文楽や圓生の噺は、ある意味で文学性が高く、それがよさでもあったのですが、小さんは〝純粋落語〟を演った人という印象が強い。いちばん落語らしい落語の名手です」
俗に「人情噺の三遊派」、「長屋噺の柳派」という。その柳派の芸風は、明治から大正期にかけて活躍、文豪の夏目漱石も名人と絶賛した三代目小さんが確立したものだ。
「三代目小さんが好きで寄席に通っていた漱石は、小説『三四郎』の中で〈小さんは天才である〉〈彼と時を同じゅうして生きている我々は大変な仕合せである〉と書いている。この三代目は上方落語を東京に移植した功労者。それも、江戸前に組み替えている、その感覚が抜群です。そんな柳派の〝落語らしい落語〟は四代目に受け継がれ、五代目小さんによって完成したといっていいですね」
ちなみに、三代目小さんが上方から江戸落語に翻案して移植した噺は、先の『時そば』に加えて『らくだ』『うどん屋』『碁泥(ごどろ)』『にらみ返し』『天災(てんさい)』『かぼちゃ屋』『猫久(ねこきゅう)』『粗忽の釘(そこつのくぎ)』『青菜(あおな)』など数多い。いずれもが五代目小さんの十八番で、柳派のお家芸といわれている演目である。
小さんが落語修業の大前提に置いていたのは「心邪なる者は噺家になるべからず」という自戒だ。これも三代目小さんに発して、四代目経由で受け継いだ教えだという。
「心邪なる者というのは、生き方だけの問題ではなく、芸に対する姿勢でもあったと思います。元来、小さんは人柄がそのまま高座に出るようなところがありましたが、その芸には邪なものがなかった。お客に媚を売ることが、まったくない人でした」
形よりも気持ち。心を大切に
小さんの落語は、つねに〝自然体〟を旨としていた。のっけから客をぐいぐい引っ張ってゆく芸風ではなく、むしろ出だしは地味なくらいに、身ぶりも表情も抑えた風情で淡々と始まる。ところが、いつのまにか、その噺の世界に誰もが完全に誘い込まれている。やがて、小さんの表情は漫画の百面相さながらに自在に変転、ときに顔の色さえも真っ赤に変えて魅せる。それでいて、小さんの高座に過剰な演出はなく、どこまでも自然体だ。
「その人物の了見になれ」
小さん落語の要諦は、当人が口癖にしていた、このひとことにある。酔っ払いは酔っ払いの了見で、狸は狸の了見で演じろというのである。弟子の柳家小三治(こさんじ)師匠が語る。
「たとえば『火事息子(かじむすこ)』という噺のなかで、質屋の番頭が主人の命令で蔵の折れッ釘にぶら下がる。その仕種をどう演じたらいちばんいいか。圓生師匠なら〝本当はこうぶら下がるのが自然だけれども、お客に見せる芸としてはこのほうがいい〟と、より具体的に教えてくれます。でも、うちの師匠の小さんは〝ぶら下がったヤツの気持ち、その了見になって演りゃあいい〟というだけなんですよ」
滑稽噺を得意にしながら、ふだんの小さんは軽薄な饒舌とはまるで無縁。いたって寡黙にして、その物言いもぶっきらぼうだ。
「噺もあまり教えてはくれません。弟子には〝見て憶えろ、聴いて憶えろ、盗め〟という。ですから、最初はそっくり真似をしてみたり、逆に離れてみたり。ずいぶん戸惑い、これでいいのだろうかという思いがつねにあって、七転八倒しました。でも、『火事息子』の例でいえば、ぶら下がる形よりも、ぶら下がるハメになった番頭の気持ち、それを下から心配して見つめる人たちの心のほうが大事だぞと。小さんはそういいたかったのです」
登場人物の了見になる。この小さんの短い言葉の裏には、じつはとんでもなく奥深い世界が隠されている。滑稽噺でお馴染みの熊さん、八ッつあん、大家さんたち。彼らひとりひとりについて、その噺の内容と役どころに応じて年齢や性格、好き嫌いや持ち物の果てまでをより細かく、より具体的に思い描いてゆく。噺には直接は出てこなくても、そうした見えない細部に至るまで神経を行き届かせてはじめて、滑稽噺の人物たちに血が通う。彼らはいきいきと動き出す。しかも、客に受けようなどとヘンな欲はもたず、噺の人物に自然体で溶け込むこと。それが小さんのいう「了見になりきる」という境地らしい。
小三治師匠によれば、人物の了見になるのは人情噺よりも滑稽噺のほうが難しい。
「人情噺はもともと人物の性格づけや心理描写もできあがっていて、筋書きを破綻なく演ればいい。その点、滑稽噺は筋だけを抜き出すと面白くもなんともない。それでお客を笑わせるのは大変なことで、人情噺で泣かせるよりはるかに難しい。じつは若いころの私は人情噺を演りたいと思っていたんです。ところが、小さんには〝滑稽噺ができれば、人情噺なんていくらだってできる〟といわれた。実際、そのとおりで、滑稽噺ほど奥が深い。私はやっぱり小さんの弟子なんですねえ。今は滑稽噺に圧倒的な魅力を感じています」
(この続きは、落語 昭和の名人 古今亭志ん生(壱)でお楽しみください)
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