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落語 昭和の名人決定版 古今亭志ん朝(壱)

1高座に咲いた江戸の華

--〝ミスター落語〟

「江戸弁が逝った」
「江戸落語の灯が消えた」
 その訃報が流れたとき、落語界の喪失感は凄まじかった。平成13年10月1日。江戸落語の正統を継承、絶大な人気を誇っていた三代目古今亭志ん朝が亡くなったのである。

 父は天衣無縫とうたわれた五代目古今亭志ん生(ここんていしんしょう)。兄の十代目金原亭馬生(きんげんていばしょう)は精巧無比な落語を身上とした。志ん朝自身は、人情噺(にんじょうばなし)に優れた芸境を拓いた六代目三遊亭圓生(さんゆうていえんしょう)に憧れて、父や兄とはまた芸の趣を異にしていた。
 正統落語をはずさない緻密さのなかに、「華」と「艶」のある独自の芸風を確立してファンを魅了。歯切れのいい、スピーディな語り口で、上質な笑いとともに江戸の粋と人情を現代の高座に幻視してみせた。まさしく江戸落語の王道を歩んでいた名人だった。
 父の盟友でもあった八代目桂文楽(かつらぶんらく)は、早くから志ん朝の技量を高く評価。「圓朝(えんちょう)の名を継げるのは志ん朝しかいない」といい、折に触れて、そう周囲にも伝えていたという。
 三遊亭圓朝は、幕末から明治期にかけて活躍した“近代落語の祖”と仰がれる天才噺家である。今、圓朝の名跡は誰も継ぐことがかなわない「止め名(とめな)」になっているが、あえて継がせたいと公言するほど、文楽は志ん朝の資質を買っていたのである。
 そんな古今亭志ん朝の至芸を音源に録る仕事を通じて、親しく交流があったプロデューサーの京須偕充(きょうすともみつ)さんはいう。
「志ん朝さんは、いい意味で最大公約数の需要に応える “ミスター落語”というべき噺家でした。その磨かれた職人技ともいえる〝本寸法の芸〟は、すでに30代にして、大方の聴き手を素晴らしい幸福感で包み込むスケールとみずみずしい鮮度を備えていました。何よりも高座が明るくきれいで、人々が落語に求める多様なイメージを、その一身にまろやかに体現してみせた人でした。父の志ん生を始め、林家正蔵(しょうじょう)・桂三木助(みきすけ)・三遊亭圓生といった昭和の名人たちの誰にも通じる、むしろ誰をも包み込むような大きさが志ん朝さんの落語の世界にあった。いわば明治以降の近代・現代落語の総括的体現者が志ん朝さんです」
 つまりは、圓朝に淵源を発する近代落語という河川は、多くの支流に分かれながら明治・大正・昭和の時代層をくぐり抜けて、古今亭志ん朝という大器に注ぎ込まれた。志ん朝が高座で現出してみせた世界は、明治から現代に至る落語が目指したひとつの理想形、完成形といってもいいが、さて──。
(この続きは、『落語 昭和の名人決定版 古今亭志ん朝(壱)』でお楽しみ下さい)

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