芸歴と志からいえば、うちの師匠ほど正蔵の名が似合う噺家はいなかった
信念を曲げず
――貫き通した圓朝直系の芸
昭和25年、蝶花楼馬楽(ちょうかろうばらく)は、柳家小さん(やなぎやこさん)の名跡を激しく争っていた。相手は九代目柳家小三治(こさんじ)(のちの五代目小さん)だったが、どうやら分が悪い。このままでは、20歳も年下の噺家が、自分より上位の名跡を継ぐことになってしまう。それでは恰好がつかないと、周囲も動き出す。
そこで浮上してきたのが、林家正蔵の名跡であった。その前年に七代目(初代林家三平(さんぺい)の父)が他界したため、林家正蔵の名跡がたまたま空いていたのだ。こうして、名跡を一代限りの条件で借り受けるという異例のかたちで、八代目林家正蔵が誕生した。
正蔵は最晩年、七代目の家(海老名(えびな)家)へ約束どおり名跡を返上して彦六を名のる。それが当代正蔵(九代目)の誕生へとつながるわけだが、こうしたいきさつは、いまも落語界で語り継がれている。
正蔵の八代目を継いだのは、したがって、まったくの巡り合わせである。当人自身、まさか自分が正蔵になるとは思っていなかっただろう。しかし、正蔵最後の弟子、林家正雀(しょうじゃく)師匠は言う。
「うちの師匠は、正蔵襲名が決まると本心から喜んだそうです。それは、大名跡を継ぐことができたからではなくて、正蔵という名跡が、若いころから目指してきた芸とぴたりと重なるものだったからでしょう。芸歴と志からいえば、うちの師匠ほど正蔵の名が似合う噺家はいなかったと思います」
先代(七代目)こそ爆笑落語で名を馳せたが、初代正蔵(1781~1842)は道具入り怪談噺の元祖であり、正蔵は代々、怪談噺や芝居噺を十八番としてきた。そして八代目正蔵も若いころから、怪談噺、芝居噺で世に出たいとひそかな志を立ててきたのである。
芸の師・一朝じいさんへの恩返し
いまでは落語といえば、座布団1枚のまっさらな高座で仕種を交えて語る「素噺(すばなし)」がイメージされる。だがかつては、まったく違う演出もさかんに行なわれていた。それが道具入りの噺である。道具であらかじめ背景を飾って幕で隠しておき、ヤマ場になると幕を落とす。同時に三味線や太鼓などの鳴物が入り、噺家が歌舞伎のようなせりふ回しで立ち回りを演じる。
怪談では道具に加えて、幽霊の出るところで「どろどろどろどろ……」と太鼓(うすどろ)が鳴り、幽霊に扮した者(幽太)が客席や高座に突然現われる、照明を落として火の玉を飛ばす、などの演出もあった。これを得意としたのが初代の正蔵だ。
歌舞伎より安い木戸銭で気軽に芝居気分を味わえることから、この演出は寄席の呼び物となり、幕末には大いに流行する。その立て役者が、三遊亭圓朝(1839~1900)である。
圓朝は噺家であると同時に、落語の作家でもあった。まず芝居噺の演じ手として人気を集め、その後、いまなおさかんに演じられる名作の数々を創作する。『芝浜(しばはま)』『文七元結(ぶんしちもつとい)』といった一席ものの人情噺、『菊模様皿山奇談(きくもようさらやまきだん)』『双蝶々(ふたつちょうちょう)』など芝居がかりとなる噺、そして『真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)』『怪談牡丹燈籠』『怪談乳房榎(かいだんちぶさえのき)』という長編怪談噺などである。
八代目正蔵が噺家として歩みはじめた大正半ば、すでに圓朝はこの世にいなかった。じかに教えを請うた弟子たちも、次々に引退していった。しかし幸いなことに、高弟のうちのひとりが、寄席のご隠居のような存在として健在だった。二代目三遊亭圓楽(えんらく)。のちにその名跡を正蔵に譲り、みずからは三遊亭一朝(いっちょう)となった噺家である。
一朝はみずから弟子を取ることはなく、請われると門閥に関係なく噺を教え、慕う者は何人もいた。その中で、もっとも深くつき合ったのが正蔵で、親子同然の絆は17年続いた。
道具入りの噺となると、高座を飾る道具が必要だ。歌舞伎のように専属の係がいるわけではないので、演じようと思ったらこれを職人に注文し、自前で用意しなければいけない。一朝は自分のもっていた道具いっさいを正蔵に譲り渡し、正蔵が新しい道具を誂える際にはみずから絵筆をとった。
「道具入りの噺を演じるのは、素噺に比べて大変な手間がかかるんです。戦後になると、もうこれを演るのはうちの師匠だけ、といってもいいくらいになった。だからこそ、やめちゃアいけないと強く思ったのでしょう。後進にきちんと伝えて、一朝おじいさんへ恩返ししたいと。師匠はそんな気持ちだったんじゃないでしょうか」(正雀師匠)
毎年、夏の初めになると、下谷稲荷町にあった正蔵の家の前に、怪談噺の道具がずらりと並んだ。怪談の旬、夏本番に備えての虫干しである。道具入りの噺は、たった1席演じるにも、リヤカー1台分の大道具が必要だった。正蔵の住む長屋の2階は、3畳と6畳のふた部屋しかなかったが、広いほうの6畳間が、この道具に占領された。狭い長屋は、ますます狭くなった。
(続きは、落語 昭和の名人 林家正蔵(彦六)(弐)でお楽しみ下さい)
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