レコードやラジオという新時代のメディアに落語をのせて、全国に笑いを振りまいた名人、三遊亭金馬
やかん頭にぎっしり詰まった
――博識と愛情
レコードやラジオという新時代のメディアに落語をのせて、全国に笑いを振りまいた名人――三代目三遊亭金馬といえば、親しみやすいわかりやすい口演で、一般大衆に支持されたイメージがある。だがその一方で、この人気者は書斎で思索する博学の人でもあった。
金馬の十八番に『やかん』という噺がある。世の中に知らないものはないという長屋の隠居が、無学者の素朴な疑問に答えるうち、いつしかナンセンスの応酬になってしまう一席だ。金馬が演じる隠居は、正しい知識を語るときは理路整然と、よく知らないことを語るときには威風を払っていかにもそれらしく振る舞い、大いに笑わせる。生涯大事にしたネタであるが、金馬は仲間内で、この噺になぞらえて「やかんの先生」とあだ名されていた。
禿げ頭をやかんに見立てると同時に、素顔の金馬が、噺に出てくる隠居のように博学だったことから、そう呼ばれたのである。
自著『浮世断語(うきよだんご)』には、それが存分に発揮されている。浅草の「馬道(うまみち)」を、客が馬で吉原に通ったところからその名が付いたと噺家はいうが、それ以前から馬道と呼ばれていた、とか、『寿限無(じゅげむ)』に出てくる「ごこう」の意味には3つの説があるなどなど。豊富な知識がやさしい言葉で縦横に綴られ、いま読んでも十分に愉しい。
「家での父は、と聞かれて思い出すのは、2階の書斎で静かに書き物をしていた姿です」
そう語るのは、ひとり息子の加藤満足(みつたり)さん。
「父は凝り性で、落語についての疑問や昔の風習など、いろいろな書物をひもといては徹底して調べ、書き残しました。そう見られるのは嫌ったかもしれませんが、父はじつに勉強家でした」
弟子の生き方を認め、叱咤激励
愛弟子の四代目金馬師匠も、こう証言する。
「昭和30年代の中ごろ、小金馬(こきんば)の私はテレビ『お笑い三人組』で売れていましたが、あんなのは落語家じゃないとか、いい気になってやがるとか、楽屋での風当たりが強くて、ずいぶんいじめられたんです」
ほとほと弱り果てて、師匠の家を訪ねた。
「噺家を辞めますと言うつもりでした。ところが書斎で原稿を書いていた師匠は、私の顔をちらっと見ると、問わず語りにこんな話をしてくれたんです。“明治時代、寄席の四天王とうたわれた萬橘(まんきつ)、談志(だんし)、圓太郎(えんたろう)、圓遊(えんゆう)という人たちはみな、新しい踊りを考案したり、高座でラッパを吹いたり、斬新なことをして大衆の人気を得た。珍芸と呼ばれたが、今の世に立派に名前が残っている。なぁ、芸人は何をやってもいいんだ。売れなきゃダメだよ。おまえもよく覚えておいで――”。原稿用紙にペンを走らせながら、サラリとこう言った師匠の姿を、今も覚えています」
金馬は明治の珍芸四天王の話になぞらえて、可愛い弟子を叱咤激励したのだった。
「観察眼の鋭い師匠でしたから、私の顔色をちょっと見ただけで、こいつは相当弱っているとわかったのでしょう。さりげなく、弟子の生き方を認める話をしてくれた。その気持ちがありがたくって、嬉しくって、師匠の家を出ると、ボロボロと涙が噴き出てきました」
金馬の門人には個性的な噺家が揃っている。
新作落語で一時代を築いた三遊亭歌笑(かしょう)、東京で上方落語を演じ、独特の芸域を完成させた二代目桂小南(かつらこなん)、人気者の四代目金馬、骨太の芸で落語通の評価が高い桂南喬(なんきょう)――。
金馬はこうした弟子たちに直接、落語を教えることはなかったが、その一方で、ユニークな“教育”を施している。
太平洋戦争が始まったころ。楽屋で働く三遊亭金平(きんぺい)(のちの歌笑)と金太郎(きんたろう)(のちの小南)に、待合茶屋の女将から電話が入った。
「お客様がおまえたちの噺を聴きたいとおっしゃっているから、すぐおいで」
こんな若造にお座敷が……と不思議に思いながらも、羽織を着て待合へ。女将に言われて座敷へ入ると、なんと師匠の金馬が正面に座している。左右には7、8人の芸者。
驚くふたりに金馬は、「おお、下手な噺家が来たな。これから一席やらせるからな、みんな居眠りするんじゃないぞ。おい、下手な噺家、こっちへきて何かやってみろ」――。
すべては金馬流の洒落であり、実践の場を用意しての“稽古”でもあった。弟子がその場で一席勤めると、帰りぎわに「はいよ、出演料」と熨斗袋をくれる。中には10円札。当時としては大金だ。弟子をからかって遊んでいるようにみえて、しっかり育てようとしている。金馬らしい愛情表現ではないか。
〈釣りをする人を馬鹿の見本のようにいう馬鹿な人がいるが、釣り師の方からみると釣りしない人は馬鹿にみえるもので、踊る阿呆に踊らぬ阿呆同じ阿呆なら踊らにゃ損だと言うわけだ〉(三遊亭金馬『浮世断語』より)
金馬の道楽といえば、釣りにとどめを刺す。
たんに趣味というだけでなく、『江戸前つり師』などの著作もあり、和竿の収集家としても著名。釣り糸を垂れる姿が新聞や雑誌に登場することもしばしば――金馬は“大衆にもっとも顔を知られた釣り師”でもあった。
正月の寄席はどこも大入りで、噺家にとってはかき入れ時。だが、山梨県の山中湖や群馬県のが結氷するのもこの時期で、金馬は釣りに出かけたくてしょうがない。寄席からは出演を懇願されるので、(元日から10日までの興行)だけは高座を勤めるが、中席は休みをもらってワカサギ釣りに行った。
氷の張った湖面に穴をあけてワカサギをねらい、釣果はそのままコンロで炙り、醤油をジュッとかけて胃袋へ。そのころは堂々と売られていたどぶろくを飲みながらの味は、野趣があって格別……と金馬は書き残している。
昭和24年8月、名古屋の富士劇場に出演したときは、興行の数日前に乗り込み、釣り仲間と三重の四日市にチヌ(クロダイ)釣りに出かけた。そこへぶつかったのが、昭和史に残るほどの猛威をふるったキティ台風だった。
〈荒れ狂う波を頭からかぶって、体を灯台の階段にしっかりと結び付け、褌までずぶぬれのまま、一晩じゅう迎えの船を待っていた。その命がけのなかで、波に打ち上げられた三尺以上もある“太刀の魚”を玉網で伏せて捕っていた〉(『江戸前つり師』より)というから、さしずめ魚釣りの決死隊である。
(続きは、落語 昭和の名人 三遊亭金馬(弐)でお楽しみ下さい)
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