【連載】蕎麦を待つ間に 第3回:やわらかい蕎麦は素敵だ
コシが強くて、しっかり角が立った手打ち蕎麦こそ「良い蕎麦」と評価される今の時代、ふにゃふにゃと軟らかくて、ぽっちゃり太めの蕎麦は、いわば嫌われものである。特に蕎麦通をもって任ずる人々に、やわらかい蕎麦を毛嫌いする傾向が強い。
「なんだこれは。こんなものは蕎麦じゃない。蕎麦とは切りべら23本以上の細切りで、直角に角が立ち、香り高く、喉越し軽やか。細く、長く、美しくつながっているものだ。さらに言えば、理想は石臼手挽きの粗挽き蕎麦。こんな、ふにゃふにゃのふやけた蕎麦は、笊に盛られる資格などない。種ものにでもなって、出直してこい!」ぐらいのことは言いかねない。
ところがどっこい、僕は、やわらかい蕎麦も大好きだ。
歴史を振り返れば、ずっと長い間、蕎麦はやわらかいものであった。
寛永20年(1643)に刊行された最も古い料理本『料理物語』に、当時の蕎麦の作り方、供し方が記されている。それによると、茹でた蕎麦を笊ですくい、ぬるま湯で洗ったあと、笊に入れ、そこへ熱湯をかける。蓋をして冷めぬように、水気をなくして出す、とある。
元禄2年(1689)刊行の『合類日用料理抄』には、茹であがった蕎麦を、ぬるま湯か水で洗い、熱湯をかけ、蒸らしてから供すると書かれている。現代の食べ方とは大きく異なる。
これらの記述からもわかるように、もともと蕎麦は、温かいうちに食べるやわらかい食べ物だった。冷蔵、冷凍の技術がなかった昔は、茹でた蕎麦を冷水で締めてコシを出すなどという芸当はできるはずもなかった。
しかし、その温かく、やわらかい蕎麦が、江戸の人々に大好評を博し、ブームを巻き起こした。万延元年(1860)、江戸には1町に約1軒の蕎麦屋があったという。やわらかい蕎麦は、美味しかったのだ。
当時は茹でるだけでなく、蒸して供する「蒸し蕎麦」もあった。現在、どこの蕎麦屋でも基本の品書きは「せいろ」だが、これは四角い器の底に竹のスノコを敷いた蒸籠に蕎麦を盛ったメニューのこと。器に蒸籠を用いるのは、蕎麦を蒸して供していた時代の名残りだといわれている。
日本各地の蕎麦処といわれる村々で、おばあちゃんたちに話を聞いてみても、蕎麦は昔から一度にまとめて茹でておいて、あとで必要に応じ、熱い汁に入れて食べたものだという。
昨今はやりの手打ち蕎麦屋さんは、「茹であげてから30秒以内に食べなくちゃ、味が変わっちゃうよっ!」と息巻くが、蕎麦は昔は、そんなに、あわただしく食べるものではなかった。田舎のおばあちゃん手作りの、ちょっと太くて、ふにふにのやわらかい蕎麦。今も残るあの蕎麦こそ、蕎麦本来の姿なのである。
やわらかい蕎麦はやさしい。口あたりもやさしくて、体にすんなり入っていく。いかにも消化がよさそうだ。
やわらかい蕎麦は繊細だ。乱暴に扱うと、ふっつり切れてしまう。でも、あの麺もこの麺も、いっぱい切れているから、切ってもしかられないような気がする。
やわらかい蕎麦はのびない。というより、すでにのびているようなものだから、のびることを気にして、あわてて食べる必要がない。
だからやわらかい蕎麦を食べていると、ほっと安心できるのである。
やわらかい蕎麦に会ってみたい人は、大阪にある蕎麦屋『瓢亭』を訪ね、「夕霧そば」を頼んでみるといい。これは、近松門左衛門が台本を書いた歌舞伎『廓文章』に登場する、遊女・夕霧に因んで名付けられた蕎麦。夕霧は伊左衛門に恋わずらいして、山のようにラブレターを書く美しい女性だ。伊左衛門はお金がないので、夕霧からもらった手紙で作った紙の着物を着ている。「夕霧そば」は、まさしくその夕霧のように、可憐でたおやかな蕎麦である。
瓢亭/大阪市北区曾根崎2-2-7
℡06-6311-5041
営業 11時~23時(土曜は22時30分まで)
休み 日曜、祝日
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