【連載】蕎麦を待つ間に 第17回:桜が咲いたら京都で蕎麦
春が訪れて桜が咲くと、無性に京都の蕎麦が食べたくなる。以前、京都の、桜が満開の古刹近くの蕎麦屋で、この季節限定の「桜切り」を食べたことがある。そのときの感動が桜を見るたび、何年たっても蘇ってくるのだ。
「桜切り」とは簡単にいうと、桜の葉を練り込んだ「更科(さらしな)蕎麦」だ。更科蕎麦というのは、ソバの実の中心部分の粉だけを使って打った蕎麦のこと。良質の更科粉で打った更科蕎麦は、透明感のある白い色をしていて、蕎麦特有の香りは薄い。だから桜の葉とか、柚子など、香りや色に特徴のある食材を練り込んで打つと、その食材の風味を麺に、きれいに移すことができるのだ。
引戸も窓も開け放たれた蕎麦屋で、華やいだ春の風を頬に感じながら味わった桜切りは、上品な香りに心が洗われる思いがした。蕎麦粉を吟味し、丁寧に打たれた蕎麦なので、軽やかで歯切れの良い食感も心地よく、いかにも京都の春にふさわしいメニューだった。
桜切りを食べ終わると、蕎麦湯が運ばれてきた。湯桶と一緒に机に置かれた茶碗に蕎麦湯を注ぎ、一口飲んだ。すると蕎麦湯からも、豊かな桜の葉の香りが立ち上ってきたのだ。湯が熱いためか、その香りは先ほど味わった蕎麦切りよりむしろ、強いように感じられた。
なんと風雅な蕎麦だろうと、思わずため息が出たものだった。透き通る細い麺に、桜の香りを移してそれを愛でる。さらに蕎麦湯に残った余韻までも、余さず楽しむ。日本人の繊細な感性や、自然観のようなものが、この一枚の蕎麦から透けて見えるようだ。
聞けば、この店では、桜の移り香を大切にするため、桜切りは、普通の蕎麦とは別の釜を用意して茹でているとのことだった。つまり桜の香りのする蕎麦湯を供したいがために、料金のとれない蕎麦湯に余分な手間をかけているのだ。これぞ蕎麦屋の心意気というべきだろう。
京都の蕎麦屋の歴史は、東京と比べると格段に古く、蕎麦菓子でも有名な『本家 尾張屋』は、創業が寛正6年(1465)とのこと。創業当初は菓子司であり、いつから蕎麦を手がけたのかは、はっきりしないが、実に540年以上の歴史を有する店ということになる。歴史上、蕎麦切りが販売されるようになった当初は、蕎麦の専門店である蕎麦屋があったわけではなく、『本家 尾張屋』の例からもわかるように、菓子屋が商う商品であったといわれている。
現在、「蕎麦切り」の名前が確認できる最も古い記録は、長野県は木曽の常勝寺で発見された天正2年(1574)に書かれた文献。それよりもさらに古い歴史を持つ蕎麦屋が現存する京都は、日本蕎麦のルーツのひとつとして数えるに値する重要な地ということができるだろう。
さて、この京都の蕎麦、ここ10年ほどの間に、大きく様変わりした。熱心に蕎麦に打ち込む職人が競い合うように店を出し、それが個性豊かな名店に成長。現在では全国でもトップクラスともいえる蕎麦の先進地域になっている。『サライ』の2009年16号で紹介した『かね井』や『じん六』を始め、名刹を散策しながら小腹が空いたら旨い蕎麦を手繰ることのできる店は少なくない。
また、蕎麦に関わりのある寺も多い。たとえば東山の東福寺。ここは南宋時代の中国から、水車と石臼による製粉技術を持ち帰った聖一国師が開いた寺で、筆と墨で描かれた「水磨の図」が保管されている。(一般には非公開)。
また、京都三十三間堂近くの法住寺には、親鸞上人ゆかりの「そば食い木像」がある。これは親鸞上人に代わって、この像が蕎麦を食べたという伝説のある木像だ。
さらに足を延ばして比叡山、延暦寺を訪ねるのも興味深い。この寺で行われる「千日回峰行」は、七年の歳月をかけて比叡山の山中を、経をとなえながらひたすら歩く荒行だが、修行中の僧はその最中、五穀と塩を断たなければならない時期がある。この期間、僧は栄養バランスの良い蕎麦で命をつなぐと言われている。
京都で“この前の戦争”といえば、応仁の乱のことだと、京都の人は冗談めかして言うが、その応仁の乱の前年に創業したのが、前述の老舗蕎麦屋『本家 尾張屋』だ。蕎麦にゆかりの古刹で桜を眺め、歴史ある蕎麦屋、新しい蕎麦屋、それぞれの蕎麦を食べ歩くのは、京都の町で、今の時期にしかできない贅沢な楽しみである。
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