【昭和が目にしみる】第0回:ただいま出発準備中
■サライってなんだ
日本テレビ「24時間テレビ」の放送前日になると、毎年きまってアルバイトの学生君にこう注意をうながすことにしている。「明日は何件か問い合わせがあるよ、サライってどういう意味ですか、ってさ。答えられるようにしといてね」。
放映日の翌朝、たまたま席で仕事をしていたりすると、やっぱり電話が鳴って、学生君が見えない相手に向かってたどたどしく説明をしている。「ほんとにそういう意味なの、ボクちゃん適当なこと言ってないよね」、背中で聞いているほうが心配になるくらいたどたどしい。ところが最初の電話で上手に説明ができて、相手が納得してくれたばかりか感心などしてくれたりすると俄然自信が出てくるものなのか、もう3本めくらいになると受話器を取る手に迷いなく、「はい、はい、それでしたら、ペルシャ語で宿という意味です。そうなんです、サライはペルシャ語です、ええ、宿、ペルシャ語で宿という意味なんです」と、声に脂がのりきって、聞き手のお腹が張りそうなくらいの勢いである。しかし――。
「 」の中の情報量が少なすぎる。ペルシャって。宿って。なに? 「そうか、サライはペルシャの宿のことなんだ、ああ、あれね、わかったわかった」こんなふうに納得できるものなのだろうか。かなり不思議なやりとりではないか。あるときこのやりとりが急に不安になったものである。ペルシャ語で宿、ペルシャの宿ってどんなふうなのか。
今でも忘れない。高校のときにすこし好きだった女の子がいて、喫茶店でお茶を飲んでいたら会話が行き止まりになって、いよいよどっちも話すことがなくなるとその子が言いだした。「猿の惑星、ってなんかすんごいことばだなあって思ってノートに書いてみたのね。じいっと字を見ていたら猿の惑星ってなんだろう、よくわからなくなって猿の惑星 猿の惑星 猿の惑星 猿の惑星 猿の惑星っていっぱい書いてみたんだよ。そうしたらたいへん、頭のなかが猿だらけになって脳のそこらじゅう猿の惑星だよ、あとちょっとで大爆発するところだった」ころころ笑って言うのである。しかたがないのでテレビで見た『猿の惑星』のあらすじをいっしょうけんめい説明してあげたら、なんかつまんない、と笑顔が消えた。そういうんじゃないんだよね、とも言われた。
ペルシャ語で「宿」、ペルシャの宿、ペルシャ絨毯、ペルシャ猫、ペルシャの市場にて、作曲はケテルビー、夕月かまぼこのCM曲――名詞はごろごろ出てきてもなにひとつ体験していないペルシャ。自分からいちばん遠いことば。遠いのに平気で書けたり言えたりできてしまうことば。あのとき女の子はこういう浮遊感のなかで「猿の惑星」を連続筆記していたのか。
気になりだすと落ち着かないので、とりあえず都内のペルシャ絨毯屋さんを探し、いかにもペルシャから来ていそうなお店の人に買う気もない絨毯の話を枕に、サライの意味を尋ねてみた。イランから来たという彼は流れるような日本語で、サライは宿といっても現代のホテルのイメージとまったくちがうこと、砂漠のオアシスにある行商人の宿であること、質素で砂っぽいが長旅に疲れた商人たちは大いに安らいだであろうこと、サライでもペルシャ絨毯が使われていたこと、過酷な自然条件でもペルシャ絨毯は使いこみ洗い直すほど美しい味が出ること、手間のかかるこの絨毯が現代でどれほど貴重かということ、地域によって多彩な文様や色使いがあり決して豪華宮殿で使うような派手なものばかりでないこと、マンションでごろ寝に使っても気持のいい値ごろなサイズもあること、そんなことを熱く教わっているうちに、気がついたらいちばん小さなサイズを買っていた。それが冒頭の写真だ。
ところどころ変な位置にちがう色の糸がまぎれたまま織られているし、形もいびつなので手織りなのだろう。陳列品のなかではサイズも値段もいちばんミニマムだったが、それでもすごく高かったと思う。家電がひとつ買えるくらい。じつは値段は忘れた。妻にでたらめな値段を言ったのを嘘つきのはじまりに、友人にもこの話をよくするうち適当な金額をそのつど言ってきたから、ほんとうのことを忘れてしまった。きっと思い出したくないのだろう。でもいい買い物だった。いまでも家族が寝静まったあと酔っぱらって帰ってきて、居間の片隅に置かれたバスタオルくらいの小さな絨毯に寝転がると、あんまり気持がよくて低い天井に砂漠の月が見えるもの。なによりうれしかったのは、絨毯を買ったあと、あの嫌な猿惑的浮遊感がふっつり消えたこと。
■誰のための便利か
日本国語大辞典オンライン版によるとアナログとは<数値を長さや角度あるいは電流といった連続した物理量で示すこと。文字盤の上に針で時を示す時計や、水銀柱の長さで温度を示す温度計はこの方式に基づく>とある。一方、デジタルとは<データを有限桁の数値(筆者註:たとえば0と1)で表現する方法。連続量で表現するアナログに対して用いる>ことを指すそうだ。
つたないたとえだが、「サライってなんですか」「ペルシャ語で宿です」これが私のとってのデジタル的モデル。ほんとうは日本テレビに聞かなければいけないのにサライ編集部に電話をかけてきて、「サライってなんですか」と聞く。聞かれた学生君はちょっと得意気に「ペルシャ語で宿という意味です」と答える。電話をかけた人は「ああ、ペルシャ語で宿、そうだったんですか」と大いに納得して電話を切る。ずいぶんな飛躍ではないか。
アナログ・モデルでは「サライってなんですか」「さあ、なんでしょう」「編集部の人が知らないんですか」「ペルシャ語で宿、って聞いています」「ほんとですか」「行ったことがないので自信ありませんけど」「ペルシャってどこの国ですか」「ペルシャという国はないですよね、いまのイランのあたりじゃないですか」「イランのホテルがサライですか」「いいえ砂漠の宿らしいです」「なぜ砂漠が出てくるんです、意味わかりません」「わたしもわかりません」「それじゃ知らないのと一緒でしょう」「今度調べておきます」それからしばらくして、「イランの人に聞いてきましたよ」「なんていってましたか」「サライと聞いたら広い砂漠を思い浮かべてください。そこをラクダに乗った行商の隊列が通ります。やがて隊商はオアシスに着き、荷をほどき、長旅の疲れをしばし癒します。たっぷりの水と香辛料をふんだんに使った料理、そして質素ですが安心して眠れる行商宿。この宿が雑誌の名前の意味です。とはいっても現代を砂漠にたとえて命の水を提供しようなどという大げさな話ではなくて、ちょっとしたお休み処くらい気軽に考えてください。サライにはペルシャ絨毯も敷いてあるんですよ。丈夫で美しいやつ。そんな絨毯おひとついかがですかって薦められましてね、サライの意味を聞きにいったのに、思わず絨毯買っちゃいましたよ」となる。中身の虚実はべつとしていちおう飛躍がなくて、ずるずると事態が連続しているところがアナログ的。
デジタルはシンプルなフォーマットだから汎用性はものすごい。デジタル機器の普及と、デジタル情報を瞬間移動できるインターネット環境が整いつつあるから文字、写真、音楽、美術もデジタル規格にすれば世界どこへでも発信できる。『GRデジタル』(リコーのデジタル・カメラ)で撮った写真は数分後には1000万画素の精度で世界じゅうの人に見てもらえるが、『ローライ・フレックス』で撮った写真はデジタル規格外だから翌日にならないと家族にも見せられない。
でもね、なのである。デジタルだけ、では「なんかつまんない」。
■アナログびとに会いたい
昭和の、それも戦後の高度経済成長期に生まれ育ったわたしは、自分でなにかを作る前に選んでばかりいた。いろいろなものから選べることが、豊かさだった。欲しくてひとつに決められないときはどっちも買ってもらえるくらいの余裕はあった。そういう贅沢はよくないと息子に範をたれるべき父は多忙のため家におらず、稼いだお金をそれが父親の愛情といわぬばかりに子の好きに使わせた。子は家にいられないほど忙しい父が稼ぐお金をむだに使うことが怖くなって、良い選び手になろうとした。選択肢が貧しければ選ばないという選択もあることを学んだ。
すぐに勝ち負けがはっきりしてしまういま、とてもモノが選びにくい。選ぶスリルが、あまりない。モノに野性のにおいが減ったのか。
汗を流したぶんだけが自分の稼ぎ、歩いたぶんだけが自分の陣地、見てきたことしか聞きたくない、おおざっぱなモラルでべたべたな昭和を右往左往、理不尽に遠回りしながら好き勝手に生きた父の野性を思い出しながら書いていたら、口上が長くなりました。
次回からはちょっとおおげさですが、デジタル時代の秘境で生きるアナログびとを尋ねて行こうと思います。蓄音器ビジネスの話題か、縄文人の足跡を追い続けた伝説の考古学者、このどちらかについて記させてください。更新は締切を忘れぬため、『サライ』発売日の毎月10日と、給料日の26日、月2回行ないたいと思います。
■『サライ』編集部・副編集長・井本一郎
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