【昭和が目にしみる】第1回:『かもしかみち』をあるく その2
■『かもしかみち』を生きる
藤森栄一氏の孫弟子にあたる方が、木曽街道の東の起点、信州塩尻市の平出(ひらいで)博物館の館長をされていると聞き、『かもしかみち』を手に、会いに行った。
塩尻といえば日本ワインの銘醸地。ワインの仕事でお世話になっている塩尻市のTさんの紹介で博物館に電話をすると、すぐ館長が出られて、「それなら博物館ではなく、遺跡でお会いしましょう」、そう言ってくださった。
小林康男さん、60歳。『かもしかみち』の解説を書いた明治大学・戸沢充則氏の教え子であり、藤森氏の孫弟子にあたる(上写真は、平出遺跡を案内中の小林康男先生)
小林さんが館長をつとめる平出博物館は、茅野市の尖石(とがりいし)遺跡とならんで縄文の出土品が数多く出ている平出遺跡のそばに立つ。
平出遺跡が、規模の大きな縄文から平安時代にかけての集落として注目され、本格発掘にむけて準備室が設置されたのが昭和24年、当時、弥生時代の大規模遺跡として全国に名を馳せた静岡県の登呂遺跡発掘の2年後のことである。
ここで少しわき道にそれる。登呂遺跡――現在は教科書から削られてしまったという。「登呂遺跡って知ってる?」この答えによって、これからは年がわかるようになるのだろう。
昭和18年、軍需工場の建設中に発見された「登呂遺跡」は、戦後まもない昭和22年に考古学、人類学、地質学など、初めて学問の分野を超えて総合研究が行なわれた弥生遺跡である。集落や水田の跡から生活道具まで、多彩な発掘成果は弥生人の生活をありありと物語り、そのニュースは敗戦で意気消沈していた日本を熱くさせた、そうだ。衆議院議員10数名が登呂を訪問、スイトンをすすりながら発掘する学者や学生を見かねて超党派で米2俵の支給を決議し、当時の皇太子も見学に訪れ、歌人の佐々木信綱が登呂で歌を詠み、歌は合唱曲となって巷間で歌われた。このとき登呂で発掘に参加していた大塚初重明治大学名誉教授はサライ・インタビューで次のように語っている。「佐賀県の吉野ケ里や奈良の唐古など、もっと大きな遺跡が出た今となっては、静岡の登呂は東国の田舎の遺跡かもしれない。しかし、登呂こそ、戦争に負けて支えがなくなった日本人に、誇りと生きる力を与え、再生の光を灯した遺跡なのです。戦争には負けたが、我々の先祖が生きて働いた証は残っている。それを今、自分たちが掘っているかと思うと、腹の底から生きる勇気が湧いてきた。ちきしょう、負けたってここに生きてるぞっていう。登呂で弥生の住居発見、このニュースに北海道の人も鹿児島の人も、勇気を与えられたと思いますよ」
戦時中に乗艦が2度も撃沈され、どうにか生き延び、こんなばかげたことはくり返してはいけないと、戦後は歴史を物証と科学で理路整然と研究することを誓った大塚さん。戦後になって一から歴史の勉強を始めるところから、日本考古学会の会長を務めるまでの「発掘屋」人生を終始あたたかい笑顔で率直に語っていただいたインタビューは今も忘れがたい(大塚初重さんのサライ・インタビュー、機会があれば図書館などでご一読ください。2008年6月19日号です)。
大塚先生は大正15年生まれ、終戦時は19歳だった。明治44年生まれの藤森さんはその頃もう34歳。
小林康男館長は言う。「藤森先生の時代、つまり戦前に考古学を志すというのは文士になるというのと同じくらい暮らしのめどがたたなかったはずです。今でこそ考古学者というと、大学の先生ですか、と聞かれるくらいのステイタスはありますが、当時は親兄弟も反対するような進路ではなかったのでしょうか」
さて、登呂の盛り上がりを受けてか、平出遺跡も原始・古代集落の雄として発掘当時は大いに注目をされたという。ところがその後、青森県三内丸山など大遺跡の発掘により、こちらもすこしずつ色あせていく。信州の地下には、青森とならぶほど豊饒な縄文世界が眠っているのに(尖石の縄文ビーナスや平出のドラえもん土偶など個性派ぞろい)、オンリーワンといいながらナンバーワンが大好きの小選挙区制市民社会では、「縄文は三内丸山」が定着した観がある。登呂や平出の遺跡としての絶対的な価値は、次の世代、さらに その次への世代へと継承されているとはいいがたい。
小林先生は藤森・戸沢の学統を継ぐ考古学者でありながら、博物館長として行政職にも籍を置き、地下豊穣な信州・平出に腰を据えて官学一体となった研究・普及活動を行なっている。その成果の一端は、『5千年におよぶムラ 平出遺跡』として公刊されている。
「藤森先生の思い出ですか。こちらにもよくいらしていましたが、とても穏やかな方でしたね。私の師の戸沢先生、藤森先生の弟子にあたりますが、そのゼミというのがすこし変わっていましてね。学生がゼミで発表をするのをじいっと聞いているだけなんです。あまり口もはさまない。それで発表が終わると、『次はこういう発表ができるといいね』そんなふうに、今のテーマの次の道を示してくれる。その繰り返しです。発表から次のテーマのアイディアをもらう、それを重ねていくと研究の道筋が見えてくるんです。あれはきっと藤森先生のやり方でもあるんじゃないかと思っています。葬儀のときは諏訪中学校(現在の諏訪清陵高校)の同窓だった新田次郎さんが弔辞を読まれました。新田さんは、ビーナスラインの反対運動を題材に『霧の子孫たち』(昭和45年、文藝春秋刊から文春文庫に。絶版)という小説を刊行しています。そこにも藤森先生が登場します。奥様が慶応の江坂輝弥先生の袖をとって<死なせちゃってごめん>と泣かれていたことが今でも印象にのこっていますね」
(続く)
【井本メモ2:平出遺博物館】
長野県塩尻市大字宗賀1011-3 電話0263・52・1022
http://www.city.shiojiri.nagano.jp/ctg/410999/410999.html
【井本メモ3:『5千年におよぶムラ 平出遺跡』(小林康男著、新泉社 2004年5月 1575円】
「遺跡を学ぶ」と題したシリーズの006巻。縄文から現代まで連綿とつづく人々の営みを、日本列島の真ん中から五千年におよぶ暮らしの姿を描く。
新泉社のウェブサイトは、こちら
【井本メモ4:尖石縄文考古館】
http://www.city.chino.lg.jp/ctg/07050020/07050020.html
尖石縄文考古館で販売中の縄文ビーナスの模型 3990円■サライ編集部 副編集長 井本一郎
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