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【昭和が目にしみる】第1回:『かもしかみち』をあるく その1

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■「野獣たちの歩む人知れぬ路」へ
 1冊の本を手に西へ向かった。本の名を『かもしかみち』という。今をさかのぼること5000年もの昔、八ヶ岳をとりまく高原地帯には個性あふれる土偶をつくった縄文の人々が暮らしていた。かれらはどういうわけか里に下りることなく、高原でムラを営み、けものみちを自在に行き来しながら猟で仕留めた獲物や、採取したドングリやトチなどを食み、自然の一部となって暮らしていた、らしい。
 そんな縄文人の姿を忘れがたい文章でまざまざと見せてくれた人がいた。考古学に命をささげた藤森栄一という人である。
 岩のようにごつごつしながら底光りする美しい文章。けれども思索の対象が縄文から現代人に向けられると岩の塊は壊れ、剥片となった鋭利な批判は書き手自身をも切り裂くかのごとく容赦がない。この質感、なにかに似ている。黒曜石とはこのようなものではなかったか。

深山の奥には
今も野獣たちの歩む人知れぬ路がある。
ただひたすらに高きへ高きへと
それは人々の知らぬけわしい路である。
私の考古学の仕事はちょうどそうした
かもしかみちにも似ている。

『かもしかみち』はこんな呪文めいた鏡文ではじまる。赤石山脈の鋸岳を登山中、行方不明になった山小屋の主人の凍死体に遭遇した事件が、藤森の記憶から得体の知れないビジョンを絞り出し、余人をもって替えがたい文章を奔出させた。登山道という、市民生活となんらかかわりない孤独な道に横たわるひとつの死体から、縄文人が自在に行き来した山の道「かもしかみち」に思いを馳せ、八ヶ岳周辺の高地にムラを成した彼らの暮らしを想起する。一転、戦中のなりわいを妻に任せきりにしながら負けて帰ってきたうえ、考古学者という道楽を仕事に選ぼうとする自分に刃を向ける。縄文の畑作について試論を展開した次には、肺炎で苦しみながら逝った愛娘にペニシリンを買わなかった我が身を異様な緊張と憑かれたような美しい文章で自傷する。
 ジャンルは――うまくいえない。随筆でも専門書でも自伝でもなく、感情のアンソロジーとでもいおうか。エッセイとして書き出され、論文をはさんで次女の死に至る日記で読み手の感情はピークに達し、末尾の身辺雑感からあとがきまで、まるごと1冊、藤森栄一という途方もない人間のうつし絵としかいいようがない。キーボードでは書けない、まごうことなき手書きの筆圧を懐かしくたどるばかりである。
 この書物、40代以上の考古学者たちにとってバイブルなのだという。不勉強もいいところで、本書を知ったのはサライ「古代史ミステリーツアー特集」(2009年11月号)取材中のこと。会う人聞く人が『かもしかみち』の思い出を口々に語るので怖くなって、いつも相談にのってもらっている歴史編集部のT君に尋ねたら、「そんなことも知らないんですか」とびっくり顔。「やっぱり避けて通れない本なのだね」。あわてて古書サイトで手に入れ、一気に読み終えたあと、昭和ふうにいうならば、「一発お見舞いされた」のである。
(続く)

【井本メモ1:『かもしかみち』(藤森栄一著、学生社 1995年)】
初版は昭和21年。藤森さんが兼業していた葦牙(あしかび)書店からザラ紙で1500部が刊行されたが、現在は入手困難。現在手に入れやすいのは、1995年に学生社から出された新装版(2400円。冒頭写真)。学生社では1967年6月に初版を刊行し、95年に新装版を出した。この新装版は、お弟子さんの戸沢充則明治大学名誉教授による伝記ふうの解説がつく。いままさに読了したばかりの読み手の読後感を、ひとつひとつ丹念に言葉に写し替えてくれる珠玉編。
学生社のウェブサイトは、こちら

■サライ編集部 副編集長 井本一郎

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