【連載】蕎麦を待つ間に 第19回:近所の蕎麦屋こそ、いちばんの“名店”
どんなに美味しい蕎麦屋があったとしても、新幹線で行かなければならない遠い町にあるのでは、度々食べに行くというわけにはいかない。やはり一番多く通うのは、近所の蕎麦屋だ。味に多少納得がいかなくても、やっぱり蕎麦が食べたくなる。近所の蕎麦屋を自分好みの名店に仕立てる名案は、ないものだろうか・・と考えていた。
近所によく行く蕎麦屋がある。一週間に一度ぐらいは、ここで蕎麦を食べる。手打ちで、なかなか丁寧な蕎麦を打つ。しかし、まだまだもっと美味しくできる余地はある味だ。
けれども、いくら常連で顔見知りだとはいっても、自分の蕎麦の味に自信を持っている店主に、そうは言いにくい。僕はいつも、主人に頼んで大根おろしの薬味を多く付けてもらい、それを蕎麦つゆにたくさん入れて食べていた。こうするだけでも、蕎麦は、かなり美味しくなるのだ。
「お客さんは、大根おろしが好きですねえ」と、主人は大根おろしを小皿に盛り付けながら笑い、僕は「大好きなんですよ」と答えて、それを受け取っていた。
この店は、主人の仕事を、26歳になる息子が手伝っていた。ある日、蕎麦を食べ終わり、蕎麦湯を飲んでいると、主人が話しかけてきた。
「うちの息子がね、やっと店を継ぐ気になってくれたんですよ。蕎麦屋なんていやだって、ずっと言っていたんですけど、就職もなかなか難しい、こんなご時世ですしね」
「それは良かった。蕎麦屋さんは、みんなに必要とされている仕事ですし、やってみればきっと、この仕事に就いてよかったと思うようになりますよ」
「いや、そうならいいんですけどね。まあひとまず、ひと安心ってとこです」
ちょうどいい機会だと思って、僕はかねてから考えていた計画を、実行に移すことにした。「近所の蕎麦屋、大改造計画」である。
店の調理場に顔を突っ込み、息子に声をかけた。
「おめでとう、二代目。がんばってください」
息子は照れたような、少し困ったような笑顔で、「どうも」とだけ答えた。
大根おろしの好きな、へんな客は言う。
「二代目襲名のお祝いに、蕎麦を御馳走したいんだけど、今度の定休日に、つきあってくれませんか?」
息子は、ちょっと驚いた様子で、「え・・」と、僕を見た。
僕は続けて言う。
「いや、ときどき食べ歩きってやつをしていてね、割合近いところに、雑誌なんかで紹介されてる有名店があるんですよ。そこの店、まだ行ったことないんで、一度食べてみたいと思うんだけど、一緒にどうかなと思って」
息子は、「あ、いいですよ」と、半分仕方なしに答えた。
「よかった。それじゃ、今度の定休日、11時くらいに迎えにきていいですか?」
こんなふうにして僕は、半ば強引に、二代目を連れ出すことに成功したのである。
その名店は、僕たちの最寄り駅から各駅停車で5駅離れたところにあった。かなり評判のいい店で、いつも昼前には行列ができる。蕎麦も旨いが、蕎麦つゆが際立って美味しい店で、実を言うと、僕は何度か足を運んだことがあった。
しばらく行列に並んだあと、席に座り、僕が「これ美味しそうだから、どうですか」と言って薦めた、一日十食限定の手挽きの蕎麦を、ふたりで注文した。
運ばれてきた蕎麦を食べた息子の表情が変わった。
「・・これ・・美味しいですねえ」
僕も「美味しいですねえ!」と答える。「・・なんだか、つゆのバランスがいいですよね」
二代目は、黙々と蕎麦を食べたあと、誰に言うともなく、つぶやいた。
「これがバランスがいいっていうことか。うちのつゆは、バランス、悪いなあ・・」
それから一週間ほどして、僕が近所の、いつもの蕎麦屋を訪れると、二代目が眼を輝かせながら言った。
「この前は、ありがとうございました。いやあ、あの蕎麦、旨くて驚きました。それで、僕も蕎麦つゆを少し工夫してみたんですよ。よかったら、そのつゆもお出ししますので、ちょっと感想を聞かせてください」
それからというもの、これはどうだ、こっちのほうが美味しいかと、店に行くたびに、試食を求められるようになった。若い二代目は、やる気満々で、いつか行ったあの蕎麦屋に負けない蕎麦を作るのだと、このごろ手挽きの小さな石臼まで買って、研究を重ねている。
店の客も以前より増えてきて、昼時には順番待ちをしなければならないことも、時々あるようになった。
僕は今、週に2回は、すっかり美味しくなった近所の蕎麦屋で、蕎麦を楽しくいただいている。
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