【連載】蕎麦を待つ間に 第20回:魯山人流「蕎麦の食ひ方」
鮨でもフグでも、美味しいものは、とことん追求して、その最も美味しい食べ方を極めた北大路魯山人だが、彼は蕎麦も好物だった。
それではさぞかし、蕎麦について詳しかったのだろうと思いきや、意外な言葉を残している。
昭和6年12月、日本料理の歴史に残る名料理店『星岡茶寮』が発行した会誌「星岡」の中で、同店を主催する北大路魯山人が蕎麦について語っている。
曰く、薮を開墾した跡に作ると旨い蕎麦ができる。これを「薮蕎麦」という。
また「砂場」というのは、砂場で出来た蕎麦を売るという看板にほかならない。砂場は紀州で、薮蕎麦は信州だ、とも。
今なら蕎麦好きの人の常識になっていることだが、『砂場蕎麦』が江戸時代から、大坂にあった蕎麦屋の呼び名であることも、同店が江戸蕎麦の源流になったことも、魯山人はまだ知らないようだ。
「薮蕎麦」というのも、薮を開墾した跡地に作った蕎麦という意味ではないはず。昭和6年ころはまだ、北大路魯山人でさえ、蕎麦についての知識は、このようなものだった。
しかしそれも、無理もないことともいえる。蕎麦の歴史を発掘する研究を本格的に行ったのは、蕎麦研究家の新島繁さん(1920〜2001)で、その成果を少しずつ発表し始めたのは、昭和32年ころからのこと。新島さんが研究するまで蕎麦の歴史は、ほとんどかえりみられることはなく、一般に流布している知識は、かなり曖昧なものだった。
新島繁さんの丁寧な仕事は、当時の蕎麦研究者たちに多大の影響を及ぼし、各地で研究者たちの活動が活発になった。ひとつの例として、大阪の新聞記者であった坂田孝造さんは、伝承でしか伝えられていなかった砂場蕎麦の歴史を古文書などから調べあげ、その成果をまとめた『すなば物語』を昭和59年に著している。これにより『砂場蕎麦』とは、どういう暖簾であるのかが、世に明らかにされたのだ。
新島繁さんを始めとする多くの人々の地道な研究が積み重ねられ、蕎麦の歴史は今のように、人々に深く理解されるようになった。だから昭和6年当時の発言を、現代の尺度で判断するのは、少々、酷であるといえるのかもしれない。
しかし、さすがに希代の天才美食家・魯山人。味については的を射た見識を披露している。
昭和28年に発行された冊子「独歩」の中で、おいしさというものは、その材料の功が9割だといっている。料理人の功は、わずか1割であり、蕎麦の旨さは、蕎麦粉の品質の良さだと言い切っている。
旨い蕎麦を作るためには、旨い蕎麦粉を使うことが絶対条件となる。基本的に蕎麦は、水と蕎麦粉で作るもの。蕎麦粉に本来備わっている持ち味を「殺さず」に「生かす」ことで、旨い蕎麦はできるのだ。
だから、旨い蕎麦の功績は、9割が材料にあり、不味い蕎麦になってしまったら、その全責任は、蕎麦粉の品質を見極めることができなかった目利きの未熟さも含めて、蕎麦粉の味を「殺して」しまった作り手にあるということになる。
では、旨い蕎麦粉とは、どういうものをいうのか。
これが大変な問題で、このスペースでは、とても答えきれない。
しかし、ひとつ確実に言えることがある。
自然にすくすくと育った食材は本来、十分に美味しい味を備えているはずなのだ。それが不味くなってしまうのには、必ず理由がある。どうしたら蕎麦粉は不味くなってしまうのか。その理由を把握し、それとは逆のことを行えば、蕎麦は旨くなるに決まっているのだ。
魯山人は蕎麦つゆについても言及している。
昭和8年6月に開催された「日本風料理講習会」で、蕎麦つゆの醤油は、東京では濃口醤油を使うが、蕎麦には淡口醤油が良く調和するといっている。彼が気に入っていたのは、京都で300年近い歴史を重ねてきた老舗蕎麦店『河道屋』の、淡口醤油を使った蕎麦つゆだ。だから魯山人が主催した料理店『星岡茶寮』で供していた蕎麦つゆも、淡口醤油を使ったものだった。
魯山人は、『星岡茶寮』の会誌「星岡」に、鮎の季節になると「鮎の食ひ方」などと題した随筆を載せている。それに倣って「蕎麦の食ひ方」の極意を挙げてみよう。
まず、最も大切なことは、蕎麦粉を吟味し、味、香りをしっかり備えた極上の蕎麦粉を選ぶこと。さらに蕎麦つゆは、蕎麦の風味を邪魔しない淡口醤油を使って、塩梅よく作ること。
あとは料理人が、蕎麦粉と蕎麦つゆの味を、完璧に生かしきることができたなら、旨い蕎麦を味わうことができる。
これが、言うのは簡単だが、内包されている難題が多々あり、実践するのは極めて難しい「魯山人流・蕎麦の食ひ方」である。
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