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【昭和が目にしみる】第2回:街道に浮かぶ都「奈良」 その4

■松明にご利益は、ほんとうにないのか
 3月12日、通称「お水取り」第12日目の午後7時すぎ、タクシーを大仏殿裏で降り、そのまま直進すると二月堂の下に行き当たる。お水取りの期間、タクシーは堂下まで入れず、規制線から10分ほどの距離を歩くことになる。

 二月堂へと昇る屋根つき階段(登廊)の前、斜面を削ってつくられた広場の中央では煌々と火が焚かれている。切削面に組まれた石垣に、かご松明という、12日目だけに使われるとびきり大きな松明がずらり立てかけてある。かご松明は、この焚き火で点火される。参籠所から二月堂に上堂する11人の練行衆ひとりにつき1本、点火されたかご松明を持ち、童子と呼ばれる衆が足元を照らす明かり役として登廊を昇る。僧侶が二月堂に無事入堂すると、役割を終えたかご松明だけが懸崖造りの張り出し舞台の外に躍り出る。崖下からの歓声を浴びながら南に向かって走り、南端にいたると火球を欄干の外に突き出し、炎を見上げる何万もの善男善女に向かって余炎をもてあそぶかのように大きく揺さぶり、大量の火の粉を降らせるのである。12日目以外の松明は小さい(比べなければかご松明といかなる遜色もない)とはいえ、練行衆の先導と、舞台からの火振りを14日間毎日繰り返す。
 冒頭に引いたタクシー運転手の「松明の火の粉を浴びてもご利益はない」という言葉は、「松明は僧の足元を照らすための明かりである」という本来の役割を根拠に、ご利益を期待することの無意味を言っている。わたしもお水取りに初めて参拝した3年前、前出の書物『東大寺お水取り』で松明の役目を知り、なんだお水取りと松明は直接関係ないではないか、と運転手さんと同じことを考えた。
 ところが実際に、長さ8m重さ80㎏もの大松明を肩でかつぎあげ、ひといきに登廊を駆け上がり、舞台の欄干ごしに見事なパフォーマンスを繰り広げる童子たちの一途さや、それを見て手を合わせる参拝者を目の当たりにすると、仏教の「十一面悔過」の行に松明の利益は想定されていなくとも、手向山神社や遠敷(おにゅう)社、興成社など、東大寺が立つ峰の神々たちから利益がもたらされてもいいような気がする。奈良は神仏習合、東大寺の山内だけでもいくつもの神社がある。これらの神々が「本来の役割」という形骸を超え、毎年奉納をつづける松明衆や、炎に祈る参拝者の世俗の澱を浄化してくれると想像することは、許されない傲りだろうか。煌々と赤い光を放つかご松明の炎と降りそそぐ火の粉に、お正月行事のどんど焼きを重ねることはけっして不自然なことではない。

 なお、奈良ではいかに神と仏が自然に共生しているか(神仏習合)、その様子については、いま発売中の「サライ5月号 奈良特集」の山折哲雄氏(宗教学者)と森本公誠氏(東大寺長老)の対談や、長谷寺化主、談山神社宮司の話を、ぜひご一読いただきたい。
 東大寺「修二会」通称「お水取り」は、火と水の祭りといわれる。14日にわたって修される行のうち、第12日と第13日に堂内で松明を引き回す「韃靼(だったん)」(国宝建築のなかで大きな松明を、燃えているほうを床につけて堂内を引きずり回す、信じられない行。くずれ落ちる火のかけらを箒で土間に掃き出す役目の人が後を追う。圧巻中の圧巻)の儀と、第12日目、二月堂本尊にお供えする香水(こうずい)を、堂下の閼伽井(あかい・通称「若狭井」)から汲む「お水取り」が注目され、そういうキャッチが自然に生まれた。
 護摩の煤で煙る二月堂のなか、深夜までほら貝や鐘、鈴、雅楽まで種々の祭器にいろどられながら経文の読誦が延々と続く。僧がかわるがわる全体重をかけて膝を投地板に打ち付ける五体投地や、経文を唱えながら足音高く堂内を駆け巡る作法など、一連の行を拝観していると、ここが日本なのかチベットなのかインドなのか、いまが平成なのか鎌倉なのか天平なのか、場所と時間の座標が壊れてくる。
 お水取りの行の内容をくわしく知りたい人は、前掲の『東大寺お水取り』の普及版を見ていただきたい。儀式の準備や、当日のタイムテーブル、主要経文の文字起こしと解釈など、本のサイズ以外は実用的だ。たとえ飛ばし読みであっても本書を通読してからお松明を見るのと、そうでないのとは、まったくちがった風景が見えると思う。

【井本メモ8:松明を寄進する伊賀一ノ井松明講(三重県)】
三重県の生活・文化部文化振興室県史編さんグループのウェブサイトでは、かご松明が前年から一年間保管・乾燥され、翌年のお水取り行法で使用されることなどの解説が掲載されている。

■サライ編集部 副編集長 井本一郎

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