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【昭和が目にしみる】第2回:街道に浮かぶ都「奈良」 その3

■「お水取り」の全貌を知る、昭和の名著
 昭和60年に刊行された『東大寺お水取り 二月堂修二会の記録と研究』は圧倒的な書物である。外箱付き帙風函入り本文288ページ、引き出し10ページ。初版は、1万9500円と高価だったが、現在は普及版(5775円)が刊行され、手に入れやすくなっている。
 本文はゆるやかな3部構成となっていて、第1部は、80ページのオールカラーで、参籠する練行衆(14日間、厳しい行を担う僧たち)が日常で使う火を別にし、精進生活に入る別火坊と本行までの準備一切、本行第1日目から破壇、満行、涅槃講にいたるまで、小学館の社員カメラマン品田佳彦が10年間で撮影したおよそ8000枚のフィルムから厳選した写真をもとにルポルタージュする。

 第2部は北河原公典東大寺住職の序文と狭川明俊長老、橋本聖準一長老諸氏の聞き書きや井上靖、中村元、柴田南雄、五来重各氏ら芸術家、学識者らによる書き下ろしなどによる多面的な論考が、書物の各所にふりわけられて掲載される。
 第3部は資料編。詳細な行事次第、参籠衆の構成、声明の唱句、引き出しには室町期の『二月堂縁起絵巻』と行事次第と時刻表までカラーで収録されている。書物を編むという行ないが、形にならないある世界(歴史や精神や自然とのつながりなど)をぎりぎりのところで「物に変える」作業だとすれば、この書物はまちがいなく書籍編集という仕事の頂点に近い仕事であると確信する。東大寺という歴史そのもののような存在に通い続け、敬意を持って質問し続け、聞けば聞くほどわからなくなる現実に、学界から在野まで垣根をはずして応援団を募り、奇跡のように結実した1冊ではないか。
「本書はあきらかに知的探求の方向をまさぐり学際的アプローチを志向するものではあるが、一方、『知』のみに偏することなく、確固として『心』の在りかを今、問いたく思う。物質至上の価値観が横行する現代にあって、<お水取り>は、『知』と『心』の衡平を正す一つの規矩であることは確かである。」
 小学館「東大寺お水取り」編集、とのみ記された当時の一編集者の「あとがき」およそ2600字をいま読み返し、こうした文章を、暑苦しい、と断じる人もいるんだろうなとは思う。それは「本」の定義が変わってしまったのだからしかたがない。わたしが出版社に就職した昭和50年代には書物のにおいがする本が身近に世に出ていた。書物のにおいとは極私的な思い込みにすぎないが、どこか古典につながる、時代を超えて継承される、普遍の薫りというようなものと想像していただきたい。
 これだけ途方もない世界を1冊にまとめるには、著者、写真家、カメラマン、編集者――本にかかわる人たちによる憑かれたような没頭が必要であり、出版に限らずいろいろな業界にあっても、歴史に残る仕事というのは損得を言わない人々の手で守られた、聖なる光がかすかに灯っているものである。その灯はかすかであるが、本が残るかぎり消えることはない。その一方でこうした灯が見えない人がいることも、抗えない事実である。

■サライ編集部 副編集長 井本一郎

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