【昭和が目にしみる】 第5回:昭和のろうそくが1本また消えた日
名古屋市錦にある娯楽の殿堂「第五錦ビル」に27年にわたって店を張っていた、バーのオーナーが亡くなった。お店の名前を「リフレイン」という。バーといってもバーテンダーがいるわけでもなく、名物カクテルがあるわけでもない。L字型のカウンターにスツールが10数脚、日が暮れて家に帰りそびれた雀やら、ヒヨドリやらが正気を取り戻すために羽を休める止まり木のような店だった。カウンターの上には大ぶりの常滑焼の壺がでんと置かれ、たまに開店より少し前にドアを開けると、凛と和装したオーナーのOさんが壺の上でその日の花材と格闘していることもあった。カウンターの内側にはOさんと、女子大生かOLか、その時々のお手伝いの娘さんがひとりの、2人で店を回していた。
享年66というから、初めてOさんにお会いしたときは50になるかならないかのころだったのだろう。当時わたしは「新編古典文学全集」編集部で長尺の『太平記』全4巻の新訳の編集現場を担当していた。全巻セットの予約販売も行なっていたため、締切のきびしさがいつも気持ちを冬にしていた。「100年残る本を作ろう」という編集スローガンと「締切どおりに仕上げる」という現実にはさまれ、校注者の長谷川端先生(当時中京大学教授)にはずいぶん無理を言った。
いよいよ発売日が公表され、印刷スケジュールと脱稿した分量の計算が合わなくなり、ほかの編集担当者に借りをつくっても発売順を変えるべきか、というところまで来たとき、編集長は、東京と名古屋、この距離が原稿を遅くしていると判断した。編集長は週一回、わたしに名古屋への原稿取りを命じる。
『太平記』の校注と現代語訳の受け渡し場所は、長谷川先生の自宅近くの喫茶店であったり名古屋駅地下の店だったりした。ある金曜のことだったと思う。原稿を受け取って会食した後、めずらしく先生が2軒目を誘ってくださり、「一杯行こうか」とカラオケの有り無しの希望を聞かれた。ないほうがいい、と答えて連れて行かれた店が「リフレイン」だった。もし、あるほうがいいと答えていたら、Oさんとの出会いもなかった。
リフレインは不思議な店だった。昼日中名古屋をぶらついていたのではとうてい出会えない100%名古屋人たちが、行くたびに面子を替えてスツールを埋めた。中京大や名大の学者、和服姿の浮世絵コレクター、名著『100%名古屋人』シリーズの著者、舟橋武志さんともここでの縁で出会った。あるときなどは土木関係会社の人どうしが、某自治体の首長が謎の自殺を遂げた事件について相当リアルな情報をもとに原因を言い当て、ぎょっとしたこともある。生粋の名古屋人、それも練りに練った大人ばかりが、オーナーのOさんの仕切りで名古屋ことば丸出しの大名古屋シンポジウムみたいに熱を帯びていく様子が楽しかった。ひとつの暗い愚痴がほかのお客の自虐話を呼び、話しているほうも馬鹿馬鹿しくなってきたころ、「ぐずぐず言わんでやってみりゃあええんだわ」、と上品な和服姿からは想像もつかないOさんの名古屋ことばによる断言で、「はい、お勘定」。暗い顔で店のドアを押したお客は笑顔で帰路につくのである。たまに東京から大会社の課長さんが誰かの紹介で寄ったりすると、その気取ったような東京ことばで店の空気はみるみる汚れた。おそらくは同じ最終の新幹線で東京へ帰るわたしでさえ東京ことばのいやらしさに居たたまれないほどの恥ずかしさを感じた。その話、やめたほうがいいですよ、この店では全然おもしろくないから。
その後、『太平記』全4巻のうち2巻を刊行したところで、落ち着きのないわたしは古典文学編集部から書籍の編集部に異動となった。それでも名古屋に行ったり通過したりする用事があると時々顔を出した。「リフレイン」で聞く名古屋のことばが懐かしかったからだ。Oさんが仕切る「リフレイン」で聞ける正統な名古屋ことばは、平成から昭和、昭和から江戸の徳川将軍にいきなりつながるような不思議な胆座りがあり、稀有であり、いいのである。
気がつくと3年くらい無沙汰にうちすぎ、それでも名古屋市営地下鉄の栄駅を降りると、第五錦ビルまでは足が道順を覚えていて、エレベーターの6階の扉が開くと、そのいちばん奥に当たり前のようにシックな木のドアがあった。何年ぶりであってもボトルは残っていて、ネックには「小学生」と記された初代ボトルからのタグがかかっている。先生とはじめて「リフレイン」を訪れたとき、誰でも飲めるように会社の名前でボトルをキープした。そのときOさんが小学館を小学生に書き誤まった。たしかにリフレインではまだまだわたしは小学生、それもよそ者の転校生である。脱力を催すこのタグが気に入っていたので、書きなおさずにそのまま使い続けた。
名古屋駅からすぐ近くの斎場で行なわれたOさんの葬儀は、土曜日ということもあって静かだった。前夜の通夜はいろいろなお客が集ってにぎやかだったという。葬儀ではひさしぶりに長谷川端先生と会い、出棺を見送ったあと、名古屋駅の地下に今も続いている“いつもの店”でOさんに献杯した。帰りの新幹線では持ってきた本は1ページも進まなかった――。
会社と家には深い川が流れている。その川をだらしなく横切ると、あまりいいことは起きない。リフレインに限らず、その川を安全に渡るために、バーやクラブやスナックや小料理屋といわれる店があるのだろう。これらの名店に共通するのは、お客の心温を下げ尖った気持ちを鞘に収め混乱した神経を整流する、聞き上手が店を回していること。
Oさんに教わったことも多い。あるとき酔いに興じて自分の話にドライブがかかり、誰にも言ったことのない悩みを打ち明けだしたことがある。当時好きだった人への疑惑のような内容だったと思う。魔物が憑いたようにひどい誹謗をはじめたことがあった。そのときOさんは愚かな若者をたしなめて、次のような中身をしみじみした名古屋ことばで言った。
「あんまり腹の底までしゃべるとこの店に来られなくなるよ、腹の底まで見せた相手には負い目を感じるもので、そういう人の前にはみっともなくて現れにくくなる法則がある。しゃべりたいことを100%話し尽くした時は気分が晴れたような気になるが、酔い覚めの自己嫌悪は最悪で、醜態を演じた場所には絶対に行きたくなくなり、そういうのは店にとっても損だから、そこから先はもう聞かない」
それを聞くとすぐさま魔物は落ち、正気を取り戻した。魔法の痛言であった。年を経て、人の相談を受ける機会もなくはなく、たまにこの戒めを使わせてもらうことも数度あった。
「リフレイン」は、今年で27年目を迎えたという。ざっと計算して延べ5万人におよぶ気まぐれなお客と、1対1の言葉テニスの真剣ラリーを続けた。聞き役のプロがまたひとり消えてしまった。何に対していくら払ったのかを明快に知りたい人に、こうした店が在りつづける大切さを伝えるのはむずかしい。カラオケチェーンも居酒屋も明朗会計で便利で快適だが、オーダーメイドの時間ではない。われわれにとっての効率のよさは、店側にとっての効率のよさでもある。いったい誰のための消費であり、時間なのか。会社でめいっぱい気働きをし、自分の家は愚痴で汚したくないという虫のいい男は、「自分だけの話」をきちんと聞いてくれる聞き上手に甘え、すがり、迷いを迷いのままぶちまけ、勝手にすっきりして家路につく。「リフレイン」への支払いは、ひょっとしたら酒代ではなく迷惑料だったかもしれない。そんなものに定価があるか。ぎりぎり一律格安の迷惑料で退行した大人の面倒をみていたOさんは、店を閉めた後に他人の澱を掃除するのは、さぞ大変だったことだろう。いったいOさんはどこで自分の荷を下ろしていたのだろう。
Oさんは折に触れ、常連客のメールアドレスに便りを送ってくれた。その最後の便りが件名が赤字のまま未読状態で残っていた。季節や心境を象徴するような短歌の引用から書き出され、近況報告やお客さんとのやりとりの様子が記されている。面白い内容なので、あとで読もうと思っていた。あまり赤文字が溜まりすぎて、読まずに削除してしまった号もあったが、最後の1通は残っていた。書き出しの短歌は、歌人・武下奈々子さん(1952~)さんの次の歌だった。
夕闇に
解けて重たき藤の房
くぐるべからず
そこより奈落
辞世として選ばれた歌だとすれば、すさまじい。Oさんの前ではいつも小学生でしかない小生はただ、わたしは生き抜きます、としか言いようがない。
葬儀の時、Oさんには3人のお孫さんがいて、とても幸福そうなおばあさんの顔を見せていた、という話を息子さんから聞いた。願わくば、お孫さんの記憶にOさんの笑顔と、生粋の名古屋ことばが刻み込まれていることを。瞑目して合掌します。
■サライ編集部 副編集長 井本一郎
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コメント
読んでいてじーんと来ました。
素晴らしいマスターですね。
投稿: とらふぐ | 2010年5月30日 00時14分
ご投稿ありがとうございました。「ときどき思い出す」「忘れない」というかたちでしか追悼できない他人という方もあり、Oさんのはなむけに記させていただきました。お読みいただき、感謝しております。
投稿: 井本一郎 | 2010年6月 3日 16時11分