【連載】蕎麦を待つ間に 第25回:蕎麦の花見、名所案内
ソバの花は直径5ミリ程度で、とても小さいが、畑一面を覆って咲く様は、純白の絨毯に似て美しい。近づいてよく見ると、花弁に見える5枚の蕚(がく)の形も繊細で、可憐な印象を受ける。東京・池袋から1時間50分で行ける、埼玉県秩父地方では、今、春ソバの花が満開となっている。
ソバの花は、白くて小さいので、観賞用の花に比べれば地味だが、農作物の花にしては見栄えがする。野の花が少なくなる時期に、山道の行くてに突然開ける白い花畑は、昔の人にも強い印象を与えたようで、多くの名高い俳人が、その風情を句に残している。代表的ないくつかを、ご紹介しよう。
蕎麦はまだ 花でもてなす山路かな 芭蕉
現在は三重県西部にあたる伊賀にいた芭蕉のもとに、門人が訪ねてきたときの句で、新蕎麦の時期にはまだ早いので、蕎麦の花をせめてものもてなしにしようという内容だ。
鬼すだく戸隠のふもと そばの花 蕪村
「すだく」とは、たくさん集まって騒ぐという意味。信州の戸隠山は、謡曲「紅葉狩」の舞台となった場所で、その物語は次のようなもの。
会津生まれの紅葉という美女が悪事を企み、源 経基(つねもと)に、戸隠に流される。そこで鬼神と化し、通りかかった平 維茂(これもち)に襲いかかる。維茂は戸隠神社の力を借りて、これを調伏する。
戸隠地方は高冷地のため、昔は米が穫れず、蕎麦を主食にしていた。紅葉が生まれた会津も、名高い蕎麦処であり、ふたつの土地は偶然であろうが、蕎麦で結ばれていることになる。
残月や よしのの里のそばの花 蕪村
与謝蕪村は、摂津(現在の大阪府北中部から兵庫県南東部)の出身。「よしの」とは、奈良県の桜の名所、あの「吉野」のことだ。句に詠まれた、山深い里の空に残る月と、ソバの花咲く畑のたたずまいには、心にしみる侘しさが漂う。しかしそれは、信濃の山里の寒々とした風景とは異なり、春には華やかな桜に彩られる吉野の風雅さを底流に感じさせながらの、鄙びた風情なのだ。
東京から2時間足らずで行ける、埼玉県秩父地方を訪ね、ソバの花見をしながら、風味の良い地元の在来種で打った蕎麦を味わうのは、今の季節ならではの贅沢だ。秩父市荒川地区の「ちちぶ花見の里」は、広いソバ畑に隣接して作られた施設で、長い天井を柱で支えた細長い東屋(あずまや)のような建物。壁がないため、秩父の象徴、武甲山を背景にしたソバ畑を眺めながら、手打ち蕎麦を味わうことができる。
一般的にソバは、春に播いて夏に収穫する「夏ソバ」と、夏に播いて晩秋に収穫する「秋ソバ」に大別されるが、最近では4月に播いて7月上旬に収穫する「春ソバ」の作付けが、各地で増加している。秩父で今満開なのは、この「春ソバ」の花だ。
春ソバのあとは、夏ソバの花が見頃となる。日本各地のソバの花見の名所をいくつか挙げてみよう。
まず、広々としたスケールの大きな花畑の眺望を楽しみたいなら、北海道だ。羊蹄山麓や十勝、幌加内など、大規模にソバを栽培している地区は多い。花の見頃は、7月末から8月中旬くらいまで。ただし、今年はかなり気温が低いので、ソバの播種が遅れている。花見に行かれる方は、現地の様子を確認してからにしていただきたい。
謡曲の鬼女紅葉が生まれた福島県の会津は、北海道とはソバの品種が異なるため、花の時期は少し遅れる。山都町などの蕎麦処に行く途中、山道の脇に清楚なソバの花を見かけるのは、9月の中旬になる。
信州戸隠では、屏風のようにそそり立つ戸隠山を背景に、ソバ畑の絶景を堪能することができる。ここも花期は9月の中旬。
また日本のソバは白い花がほとんどだが、中国やチベットに行くと、赤いソバの花が一面に広がる景色を目にする。長野県の箕輪町「赤そばの里」では、ヒマラヤの高地から持ち帰って品種改良した「高峰(たかね)ルビー」という品種の赤い花を見ることができる。見頃は9月中旬から約1ヶ月間。「高峰ルビー」で打った蕎麦は、近くの蕎麦店『留美庵(るびあん)』で味わえる。
どうしても遠方に行くことができないという方は、今の時期にソバの種を鉢に播いておけば、自宅に居ながらソバの花を愛でることもできる。蕎麦は食べて美味しいだけでなく、様々な魅力で人を幸福にしてくれるものなのだ。
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