ホーム > コラム > 【連載】蕎麦を待つ間に 第26回:久々に旨い蕎麦と酒に出会った

前の記事

次の記事

コラム

2010年6月17日 はてなブックマーク - 【連載】蕎麦を待つ間に 第26回:久々に旨い蕎麦と酒に出会ったこのエントリーを含むはてなブックマーク Twitterにつぶやく

【連載】蕎麦を待つ間に 第26回:久々に旨い蕎麦と酒に出会った

_dsc7507_2  蕎麦屋で味わう一杯の酒を、楽しみにしている蕎麦好きの客は多い。そういう方にお薦めの店を一軒、ご紹介したい。蕎麦も極上、酒も極上。こういう店は、そう簡単に巡り会えるものではない。場所は東京都、青梅市。店の名は『蕎麦 榎戸(えのきど)』という。

 青梅の駅から徒歩13分の、この店、いろいろ前置きを言わずに、まず蕎麦の味についてお話ししよう。
 お薦めしたいのは、一日10食限定の十割蕎麦だ。竹ざるに盛られた細切りの蕎麦を一箸つまみ、蕎麦つゆを付けずに口に入れる。とたんに押し寄せる蕎麦の強い香り。盛夏も近いこの季節は、一般的には蕎麦粉の質が落ちる時期だ。香りは無くなり、味もぼんやりする蕎麦屋は多い。しかし、『蕎麦 榎戸』の十割は、梅雨の時期の蕎麦とは信じがたいほどの迫力だ。この細い麺のどこから、これほどの香りが立ち上るのかと、一瞬、手が止まる。野生の芳香とでもいうべきか。目をつむり、ああ、蕎麦の香りだと、声に出さずに心の中でつぶやく。
 舌の上を滑っていく蕎麦の味わいも濃厚だ。この店で使っている玄ソバは、北海道の黒松内町で栽培している奈川在来。このソバは、どちらかというと、香りよりも甘みの強さが特徴だが、その個性は蕎麦切りに、十分に反映されている。
 蕎麦の甘さと香りは、食べ終えて、店を出てもなお、口中から消えることはない。青梅の駅まで歩いて、さて電車に乗ろうと時刻表を見上げながら、まだ食味の余韻が、舌の表にはっきり刻まれているのを、幸福感とともに感じることができる。
 黒松内の奈川在来は、蕎麦に詳しい人なら、ご存知の方は多い。落合勝男さんという生産者が、丹精込めて育てた極上のソバだ。風味に優れたソバだが、この味をきちんと生かして麺の状態に仕上げるには、かなりの技術がいる。『蕎麦 榎戸』主人、榎戸 明さんは、奈川の強さをしっかりと手の内に収め、それを見事に自分の蕎麦として完成させている。甘みも強いが、香りも印象的だ。黒松内の奈川から、こういう個性の蕎麦切りができることを、初めて知った。
 そして旨いのは蕎麦だけではない。この店自慢の美酒、「中汲み」を味わってほしい。
 これは『澤の井』で知られる地元の酒蔵、小澤酒造の生酒で、極めて少量、製造番号を打って特約の店にのみ配布されるもの。一般には流通していない商品のため、店に納品される荷姿は、一升瓶が古新聞に包まれた形で届けられる。
「中汲み」とは、もろみをしぼるときに、最初に溢れ出す「荒走り」に続いて出てくる酒のこと。味と香りのバランスが最も良いとされ、小澤酒造の「中汲み」は、酵素の働きを止めるなどの目的で行う「火入れ」をしていない。
 口に含めば、その香りの華やかさに吐息がもれる。吟醸酒といえば、フルーティーで香り高いことが特徴のひとつだが、その個性に透明感を加えたのが、この酒だといえる。酒米は五百万石で、精米歩合は55パーセント。
 『蕎麦 榎戸』は、11時30分から15時まで、昼しか営業しない店だ。夜、酒を飲む蕎麦居酒屋ではないため、酒の売れる量は多くはない。しかし、もとの酒蔵の出荷量が少なく、希少な酒のため、いつまでも飲めるというものでもない。興味をお持ちの方は、早めの訪問をお薦めする。
 蕎麦「十割」は945円。「中汲み」は1合840円。売り切れ仕舞いで、定休は水曜日と、第三木曜日である。

■『蕎麦 榎戸』
東京都青梅市裏宿町629 電話0428-21-0822

■片山虎之介 世界初の蕎麦専門のWebマガジン『蕎麦Web』編集長。蕎麦好きのカメラマンであり、ライター。サライで撮影と文を担当して記事 を制作。12年になる。著書に『真打ち登場! 霧下蕎麦』『正統の蕎麦屋』『不老長寿の ダッタン蕎麦』(小学館)『ダッタン蕎麦百科』(柴田書店)などがある。『蕎麦Web』はこちら

前の記事

次の記事

コラム」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:

この記事へのトラックバック一覧です: 【連載】蕎麦を待つ間に 第26回:久々に旨い蕎麦と酒に出会った: