【昭和が目にしみる】第6回:永遠の海景~海女が暮らす自給自足の村から その3
■インタビュー危うし
三重県の観光といえば伊勢神宮が南限で、外宮・内宮を参拝し、おはらいまちを遊山したあとは、時間と財布に余裕があれば帰路北上する途中松阪で下車、すき焼きを堪能し松阪木綿を手に入れて名古屋や大阪経由で家路に就くのが常套とされる。しかし、伊勢からさらに南に下りて志摩半島に入ると、そこには「天然の三重」というより「手つかずの日本」が横たわっている。多彩な生物を育む複雑なリアス式海岸、入江ごとに現われる小さな漁港、漁港の後背地に軒を寄せ合う集落、切り立った岬から見晴らす海景色、半島の高地を覆う深い森、希少な平地を利用した小規模な田畑、高地の展望台から見遥かす水平線の落日、これらは好き嫌いは別として日本らしさを形づくる定番の要素だ。志摩半島は食においても豊かこのうえない。安乗(あのり)フグ、宝彩海老(数百グラムもある巨大車海老)、さざえ、黒アワビ、鯛、どれも天然ものが、店を選び予約さえしておけば食すことができる。忘れてならないのは豊富な食材の一部は伊勢神宮125社の神々の食事、御饌(みけ)の食材でもあること。志摩の海や野の幸をいただくことは神様と共食することにも通じる。
4月3日、とみさんとの約束の日。S記者、カメラのOさんとともに早朝7時の新幹線に乗って東京から名古屋へ向かい、近鉄特急に乗り換え、志摩半島の中核となる鵜方駅まで約4時間30分かかった。駅前でレンタカーを借り、鵜方から英虞湾を回り込み、志摩半島の南端・先志摩半島の先端近く、越賀という小さな漁港町の漁協前にたどりついたときにはほとんど昼近くになっていた。
漁協前で車を降りると、中村さんご夫妻が迎えに出ていらして、日焼けして満面の笑顔の小柄なとみさん、不思議そうな顔でわれわれを見ているがっしりした体躯のご主人の源司さんと対面。まあ家に上がんなさい、家に上がってお昼の手こね寿司でも食べなさい、とご自宅へ。今日は海女が休みの日と聞いていたので、食事のあとに2、3時間のインタビュー、その後畑仕事や散歩風景を撮影する予定だった。小型車がぎりぎり通れるかどうかの細い坂道を登ると、中村夫妻の家がある。立派なお宅の玄関を入り、「さあこちらへ」、と案内される。数歩先に部屋に通され、思わずふりむいたS記者の顔が忘れられない。ベテランで冷静沈着、ポーカーフェイスのSさんが目を見開き、口を半分あけてこちらを見ている。あとに続いて部屋に入ると、その理由をすぐ思い知った。部屋は20畳以上もあろうかという広さで、下座に本格カラオケセットが設置され、天井には輪つなぎが渡され、あまりの衝撃に詳細は覚えていないが紅白の幕はあったかどうか。とにかく部屋中がお祭り気分で、そのうえ気絶しそうに驚いたことには、上座側に和室用の折りたたみテーブルがいくつもつなげられ卓上に目もくらむようなご馳走がぎっしり、奥には業務用ウィスキー「凜」の3リットルボトルがでんと並び、テーブルには5人の女性がにこにこと笑顔で待っていたことだった。とみさんは言った。「みんなにも来てもらったんや」。
聞けば、もと海女さんの後輩や同世代のご近所の方々らしい。とりあえず乾杯をして、とみさんの仕切りで自己紹介を行ない、仕事の話などを交換し、年の差を超えた合コンのようでもあり、つまりは宴会が始まったのである。まさに3年前の海女小屋体験がここに再現され大きな部屋はあっという間に笑いに包まれた。カメラのOさんが耳打ちする、「撮影どうします?」「どうしよう」S記者と目が合う。「インタビュー、どうしよう」
宴会をしながら人の人生が聞けるのか。海女の歴史について、海女の仕事道具について、60年間の海の変貌について、今の世の中について、予定していたインタビュー・コンテは出会い頭で瓦解した。インタビュー、どうしよう。どうもならない。頭がまっ白なままS記者と私のと2台、テープレコーダを卓上に置いた。テープを起こすと、こんなふうである。
中村 わし? 3月1日で満78歳。3月1日生まれ。わしら戦時中は学校へ行きやかった時期やんな。わしらが小学校(国民学校)卒業のときに終戦やった。ほれから海女さんのけいこしとるんだ。
仕事仲間 16歳から海女さんしとる。
中村 うちは親元も漁師やったから。母さんも海女やったもんで。
仕事仲間 母さんも越賀一というほど、偉い海女さんだった。
仕事仲間 海女へ行くか、真珠(真珠養殖の仕事)へ行くかと。
中村 真珠はたまにな。
仕事仲間 とみさん、今しでも越賀一やわ。
中村 これ(指で輪を作り)が越賀一(笑)。
仕事仲間 ちょいとぐらいは落ちたよね。
仕事仲間 ちょいとぐらい落ちても男海人は偉いけど、おなご海女やったらとみさんやわ。
仕事仲間 おなご海女だったら1番やわ。
中村 漁師は定年はないよ。海女さんでもその通り、定年はない。
仕事仲間 わしらも飲んどらんと、海女へ行きたいけん(笑)。
仕事仲間 ちっとはお金も稼いでね(笑)。
いちおう、話に筋道をつけようと、コンテ通りの質問を投げかけてみた。
I 海女さんの歴史について。なぜこの土地で海女が育ったんでしょう。
仕事仲間 知らん。だいぶ昔やわな。わしら、知らんもん。
I それはそうですね(笑)。
S お母さんからも何も聞いていない?
中村 ああ、聞いていない。そやけ何百年いうて歴史があるんと違うかな。それはあんた、志摩町の役場のあれに載ってないかいね。
(夫の源司さんに助けを求めると)
源司 知らんわいな。
中村 歴史のあれ。
源司 漁協かどこかに聞いてくらんわ、漁協に聞きに行った方が確かやでな。
中村 役場でなけりゃ分からへんわな。役場は税金申告するでな、漁協で何がどんだけ揚がったいうのを申告せないかんねん。そやけ役場はたいがいのことは分かるやろ。
後日、『目で見る鳥羽・志摩の海女』(後述)という本で調べたら、海女は縄文時代からあるという。「昔のことはわしら知らん、だってその頃生きていないやん」。まったくその通りで、なんてつまらないことを尋ねたのだろうと思う。
なんだか楽しいので、このままでいいや、という気持ちになってくる。とみさんと愉快な仲間はウィスキーのお湯割りをくみかわし、ほんとうに楽しそうなのだもの。これが越賀の時間なのだ。いいなあ、俺たちも笑っちゃおう。そんな気分で頭のなかに用意してきたものをみんな投げてしまって、箸を取った。このときプロだったのは撮影を続けていたOさんだけ、Sさんと私はただのお客さんになった。
中村 サンマのすしも食べてやんせ。
I サンマずし?
中村 サンマ、おいしいや。
I 締めたサンマ。
中村 いや、ここらのは酢で締めんの。
仕事仲間 魚に塩を振ってあるだけ。
I しょうゆを付けた方がいい?
中村 付けんでも、塩してあるし上等。
仕事仲間 おいしいに。
O おいしい、おいしい。
S しょうゆ、いらない。
中村 和具(越賀の隣の集落)は酢で漬けて、越賀は漬けやへんやんか。みんな越賀の方がおいしい言うわ。
仕事仲間 脂が乗っとっておいしいの。
中村 手こねと、こんなのだけやでな、生の魚、よう食べやったらいかんけど。
仕事仲間 この辺は魚に塩するもんで、おいしい。
S 本当、しょうゆいらない。サンマの味がそのままするね。
中村 タレも何も付けやへんしな。そのままの自然な味。

左/とみさんがこしらえてくれたサンマ寿司。美しいあぶらと青魚の清新な味がたまらなかった。右/酢、みりん、しょうゆで味をつけたカツオと紅しょうがご飯にまぶして食べる。地域によって、家によって味がちがう。
けっきょくまるまる2時間以上、いやもっとかもしれない、サンマ寿司に手こね寿司、ガラ(赤い魚)の煮つけ、蕗煮、サラダ素麺、仕出し屋から取ってくれた銀皿に乗ったエビフライと唐揚げ、締めにぼた餅まで食べに食べ、しゃべりにしゃべり、ここ何年かでこんなに笑ったことがないくらい、すごくたくさんおなかいっぱい笑いに笑った。
■サライ編集部 副編集長 井本一郎
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