【昭和が目にしみる】第6回:永遠の海景 ~海女が暮らす自給自足の村から その6
■永遠の海景
東京に持ち帰ったテープは思いのほか明瞭で、テープ起こしをプリントアウトしたものを読むと、とみさんと仲間の掛け合いがおもしろい。掲載時にタイトルにした「夢も見んほど海が好きや」という言葉も仲間との雑談から引き出された言葉だ。結果として志摩の「ナアナアの時間」に委ねてよかった。追加の資料として、この連載の「その4」で紹介した2冊の本も取り寄せた。
そのうちの1冊、昭和14年刊行『志摩の海女』の復刻本から、海女の一般的な暮らしぶりを引いてみる(一部中略)。
写真は、越賀の漁港。テトラポットの向こうは、海女たちが潜る太平洋。
<志摩の海女は、通常十四五歳からすでに潜水作業を修得し、十七八歳に到るとほぼ一人前の技術を有し、六十歳にもなれば老練の極地に達する。
昔から女子は生産上の主権者であり、女子の雑多な労役は、男子の共同遠洋漁業に比しても遙かに激しいかと思う。実例をもってすれば、普通の海女は、一家にあっては、やはり温順勤勉な妻であって、未明に起き出ると直ぐ飯の支度、大勢の子供の世話、それから半農半漁で資(たす)けているのだから畠の見廻り、それらを一人でやってのけて、その後浜の仕事に出かける。たいてい夕刻迄は海や浜辺で暮らして、さて家に帰れば夕飯の支度から子供の世話、時には海女仲間との日待(信仰を元にした講のような寄り合い)などにも出かけて夜更けまで家を明けることがある。働き手の女になると、夕方帰ってから畠へ出かけ、日暮れの中で肥料を施して来たりもする。>(岩田準一『志摩の海女』)
明治生まれの海女からの聞き書きと、本誌に掲載されたとみさんの話にほとんどちがいはない。先志摩半島は戦前のにおいが強く残っている。
同書には、越賀地区ではないが、長男以外を出稼ぎに出したり、女児を他地からもらい受けるなど、「海女の村」としての人口バランスを維持するさまざまな工夫も記されていて興味深い。
なかには、海女があまりに働くものだから、男女の役割が逆転した村もあったらしい。
<こうした女子の働きぶりにあって、男子は漁と農、それにトマエ役(海女の仕事を海上補佐する役目)として海女潜水の補佐を専らとするのであるけれども、村によっては、男子は朝から著物を着込み、頭をポマードで分け固めて菓子屋の店先で新聞を繰広げたり、碁将棋を弄んだりしているのを見かけるが、それでも女子は黙して、これが村の風習だと合点しているような顔付で、男の世界とは全く交渉なく孜々(しし/勤め励むこと)として海や田畑の仕事にいそしんでいる。或村などは、女子が専ら海女作業をして、その収入を以て一家の生活の大部分を支えている家ばかりであるが、その村の女子一般は「テー(良人)一人ぐらいよう養わん者は、ヤヤ(婦人)の値打がない。」とまで考えている。>(岩田準一『志摩の海女』)
テープ起こしは記者のSさんにも送られている。Sさんは創刊準備から『サライ』にかかわっている古参であり名文家。落語通でもあり、今年3月号の「東京特集」、音曲師・柳家紫文さんと都々逸で江戸料理をめぐる企画でも、洒脱な文章を披露してくださった。
締め切りの日。送られてきた原稿を見て驚いた。すべて方言で通してある。インタビュー記事ではテープ起こしをそのまま一字一句使うことはめったにない。途切れない長文、言いまちがい、こそあどの多用、語尾の癖、接続詞の混乱、そのままでは読みにくいことが多い。そこで記事に使うエピ-ドだけをおおまかに取り出し、言葉を削ったり整えながら、話がうまく流れるよう順序だてて構成する。ここでいつも問題になるのが口調、とくに方言が含まれる場合はどこまで残せばいいのか、さじ加減がむずかしい。ところがSさんは志摩の言葉をほぼすべて残してきた。なのに読みやすい。とみさんが目の前で話をしているみたいである。原稿を読むうち、宴会風景や海女小屋でのおしゃべり、舟のエンジンの音、サザエのワタの薫り、そんなことをたくさん思い出す原稿だった。きっとSさんはとみさんの口調をいったん体の中に入れ、自分の言葉にしてから原稿に起こしていったのではなかろうか。
“巫子書き”。そうでも言いたいリアルな原稿をいただいた。
とみさんに原稿を確認していただき無事校了、いよいよ本ができあがった。2日だけの扶養家族としては、とみさんや源司さんに誉めてほしかった。しかし何が起きたかは前述のとおりである。
Oさん、Sさんに知らせると黙ってしまった。午後、別件で会社に来たSさんは「へんにリアルなことになって」というようなことをつぶやいた。まだとみさんの言葉が体のなかに残っているのかもしれない。あまりに口調そのままだから、わたしも記事を読みかえせていない。
たった1泊2日の志摩行、越賀には13、4時間しかいなかった。それなのに今も続くこの強烈な後味はどうしたことだろう。大らかな海景、新鮮な美食、弾けるような言葉、これらみんなが志摩の土地を濃く深くしている。
中村とみさん、ありがとうございました。せっかく獲ったサザエ、あんなにたくさんもらってしまって。とても美味しかった。みんなで食べました。とみさんや源司さんや海の話をしながら。どうか竜宮さんのところでゆっくり休んでください。すこし遠いですが東京から謹んでご冥福をお祈りします。夏にはお墓参りにうかがいます。
おやすみなさい。
■サライ編集部 副編集長 井本一郎
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