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【昭和が目にしみる】第7回:世界でいちばん悲しい楽器 その2

■幸福な楽器、悲しい楽器
 6月5日、東京・千代田区の紀尾井ホールで、昨年のサライ大賞を受賞したアリエル・アッセルボーンさんが、「サライ大賞受賞記念」と銘打って、コンサートを開催した。ギターと歌だけで通すソロ・コンサートである。

 緊張気味のアリエルさんにつられたか、ステージに登場した音楽家を迎える拍手も硬く冷たい。椅子にすわり、ギターのチューニングが始まると、そのはかない音がすでに会場の空気をひとつにした。かぎりなくアコースティックで、マイクによる増音は極力控えてある。大きな音ではまったくない。だから客席の集中力が高まる。ギターの弦を1音ずつ丁寧につまびき、満ちては引いてゆく舟歌のようなリズムに乗って、アリエルさんのどこまでも高く澄んだ声がホールに降りそそぐ。あっという間に気持ちをもってゆかれた。スペイン語とはこんなにやわらかく繊細な音だったのだろうか。
 これが、あの激しいタンゴの国の音なのだろうか。
 1曲目は「父なる泥(どろ)土」、かつてアリエルさんが語った、生まれ故郷に伝わる「ファンタジー」(本連載「昭和が目にしみる」第3回 その2を参照)を、泥、土に託して次のように歌いあげる。

父なるどろ土
あたたかく
かりそめの種を閉じ込める者
歴史と記憶
追憶と
沈黙と陶器の創り主
撒かれた土塊は
老いることなく
いにしえの歩みを刻む

 自分のためではなく、もっと大きな聴き手に歌を届けようとしている姿に打たれた。アルゼンチンから地球を半周して日本にやってきて、そこで南米の大地の歌を歌う意義がかすかに見えた。アルゼンチンの大地、ブエノスアイレスに眠る先祖、今もそこに暮らす父と母やきょうだいに加え、日本の海山の風景や愛する日本人や音楽仲間や一期一会の聴衆をも包み込む大きな“神歌”を編もうとしているように見える。そんな誇大妄想をあざ笑うかのように、軽やかなラヴソングがはじまった。会場がほがらかになる。

美しいアマポーラ
僕の心はずっと君のもの
花が太陽を愛するように
だからつれなくしないでおくれ

 一転、ピアソラのインストゥルメンタルが2曲立て続けに。「天使の死」そして名曲「リベロタンゴ」。バンドネオンの名曲を技巧を凝らしたギターで聴けるとは思わなかった。東京で、今日この日、アリエルというアーチストがアルゼンチンタンゴを弾く意味はこれだということが伝わるオリジナリティのある演奏だった。待ってました、とばかりやんやの拍手である。会場の温度が上がったところでコンサートは思わぬ方向へ動き出す。アリエルさんは昭和の名曲「夢で逢いましょう」を語りかけるように歌いだした。

夢で逢いましょう
夢で逢いましょう
夜があなたを抱きしめ
夜があなたにささやく

 NHKの人気番組『夢で逢いましょう』は昭和36年から5年間放送された。歌ありコントありののんびりバラエティ、番組からは「上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」「こんにちは赤ちゃん」などのヒットが生まれた。極私的に言えば、父と母と幼いひとりっ子が2間しかないアパートの部屋で夕食の食卓を囲みながら右肩上がりの給料をあてに一戸建てを夢見ていたころの番組であり歌。もちろん歌は知っていたが、それが当時の記憶なのか、それともあとから耳にして覚えたものかは判然としない。おそらく後者だろう。

夢で逢いましょう
夜があなたを抱きしめ
夜があなたにささやく

 放送から50年が経とうとしている。父は逝き母は老い当時の幼子も3児の父となったいま、わたしたちの世代もその前の世代も歌い継いでこなかった曲を、アリエルさんが歌っている。異国の人が原曲をはなれたゆっくりしたテンポと澄んだ声で、「夢で逢いましょう」を歌っているのを聞くにつれ、昔の記憶が耕されてくるから不思議。ノススタルジーというより、鎮魂や祈りにちかい感情がわきおこる。

 14時にはじまったコンサートは16時20分まで続いた。会場には、サライでCD評を連載する林田直樹さんも駆けつけた。アリエルさんは演奏会の準備中に林田さんに思わず言ったそうだ。「ぼく、夢を見ますね。お客さんがひとりも来ない夢。ほんとだったらどうしよう」。心配は杞憂に終わった。大盛況である。
 ホールを出たあとすぐ電車に乗るのももったいないので遠回りをして帰る。ホテル・ニューオータニの敷地を横切り、首都高速道路の上を渡り、弁慶堀沿いを赤坂見附に向かって歩く。対岸の元・彦根藩井伊家中屋敷跡の森がものすごいことになっている。爆発的に堀の水面に葉を伸ばしている。神話的な歌を聴いたあとは、こうした自然がいっそう身近に迫る。
 アリエルさんに抱かれ、繊細に弾きこなされたギターの幸福を思う。そして警察官の息を浴び続ける警笛の悲しみを思う。

【井本メモ18:アリエルさん情報について。
アリエルさんのCDや今後のコンサート情報などは「オフィスカルディナール」のウェブサイトをご覧下さい。ウェブサイトは、こちら

■サライ編集部 副編集長 井本一郎

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