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昭和が目にしみる 第11回 日本でいちばん遠い国・高知へ行こう(中編)

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平成20年に改築されたJR高知駅。「くじらドーム」の愛称を持つ。高知産の杉材をクジラのように組み上げたデザインは第7回日本鉄道賞のランドマークデザイン賞受賞。列車到着の音楽は、高知育ちの漫画家やなせたかしにちなんで『アンパンマンのマーチ』。「土佐・龍馬であい博」のメイン会場はこの駅前である。博覧会の展示はNHK「龍馬伝」にちなんだものが多い。土産物は県内全土から集められ充実している。

■ハチキンの知恵「皿鉢」を前に、土佐流献杯術で酔うて候
 高知、梼原、土佐清水――「土佐・龍馬であい博」の3つの会場をめぐる高知県主催のプレスツアーに同行させていただいた。いまでも旅のあれこれを思い出すだに笑みがこぼれるのは、身体そのものが大喜びしたからにちがいない。活気、陽気、精気…生きるためのさまざまな良い気が横溢する土佐の気質に惚れ、腹蔵なく核心に肉薄する稀有なコミュニケーション術に感動し、次々繰り出される食の素材の豊かさに言葉を失い、海から山から川から自然の香気が沸き立つ風景にすっかり酔ってしまった。高知は人も風土も温度が高いのである。
 1日目の夜は全国龍馬社中会長の橋本邦建さんと、会食会場となった『ホテル南水』社長の宮村さんから、土佐気質についてお話をうかがう。卓上を飾るのはもちろん郷土料理の皿鉢だ。
 宮村社長からは土佐の献盃文化について実技つきでレクチャーを受けた。まず、目上の者が目下の者に盃をさしだす。すると目下の者はそれを飲み干し、空いた盃に酒を注いで相手に返す。これがえんえんと繰り返される。目上の者から盃を差されるので、酒の量を目下の者が加減することなどできない。これを東京の会社でやろうものならパワハラでいきなり懲罰案件となる。だが土佐においてはこの献杯儀礼、歴史に照らせば合理的な理由があるという。もとは武家の毒見から始まった、そんなふうにもいわれているそうだ。まず目上の者が盃を飲み干し、自ら毒見をしたうえで、同じ盃で目下の者に酒を注ぐ。こんなに安全で情のこもった飲み方はない、という考え方である。
 宮村さんはかつて東京の企業戦士だった。さぞ熱血漢だっただろう。その片鱗は今もある。まだ新人のころ、会社の飲み会で土佐流の献杯をやったそうだ。自分の盃を持って卓を回ると、みんなが止めたそうだ。「ふつうは銚子を持って相手に注いで回るもので、自分の盃を持って回るもんじゃない。なんでお前が口をつけた盃を上司が受けなきゃならんのだ」。宮村さんはショックだったという。当時の若き社員からすれば、「献杯は字のごとく自分の上司への敬意の表れです。そして昼に決めた会議のノルマをみんなでやりとげようという決意表明、固めの盃でもあります。二心ないわたしの気持ちを、同じ盃で受けとめてもらえませんか」そう伝えたかったのだろう。東京の悪さが全部出ている話である。「東京のメジャー」はけっして多様ではない。国元にも東京にも根を持たない漂流層が自分の知らないことは「ありえない」と多様性を拒否し、そこそこで手を打つから全部70点以下のものしか出てこない。町をあげて突出を歓迎できる規模の大阪や福岡がうらやましくなることもしばしばである。東京のおもしろさは重箱の隅にしかない。ただし東京の重箱の隅はいつも煮えたぎっている。
 土佐の人づきあいはとことん盃を行き来させ、胆を見せ、人を見る。気取ってもじもじしていると、べく盃(底に穴が開いた指で押さえないと酒がこぼれる盃)やコマ盃(先がとがっていて置けない盃)が出てくることもあるらしい。これは怖い。評価は1点のみ。こん人はわしを好いちょうか嫌っちょうか。とことん飲んで飲ませて胆が見えるまで飲む。「肝臓破りの高知」といわれるゆえんだ。結婚式の披露宴も最後はぐちゃぐちゃになる、という話はすごくおもしろかった。披露宴がお開きに近づくと、もうみんなぐでぐでに酔っ払っていて、たまたまそのときにいるテーブルでデザートを食べてしまうのだそうだ。「座席の名札? 意味ないがです」。
 酒については女衆もだまっていない。皿鉢料理というのは一種の作り置き文化で、土佐流バイキング。もとは農村の神様のお供えものをいただくところから始まったらしい。皿鉢は家で人を招いたとき、妻が台所に入っていたのでは、亭主も客もおもしろくない。高知の女はハチキン、つまり「男の4人(金2つ×4人=8金)くらい養えんでどうする」という気性。つまみやおかずをはじめにどっさり作り置いておき、あとは亭主や友人らと一緒に飲み明かすのである。

■高知空港は、なぜ高知龍馬空港となったのか?
 『ホテル南水』宮村社長に続いて全国龍馬社中会長(つまり全国にある龍馬会の総帥)の要職にある橋本邦建さんから、高知龍馬空港の誕生秘話を聞いた。これだから、土佐びとはスケールが大きい。そんな話である。
 高知の玄関口、高知空港は平成15年11月15日に高知龍馬空港の愛称が認められ、時刻表にもその名が記されるようになった。これを発案し仕掛けたのが橋本さんと龍馬社中の面々だ。足かけ4年の仕事だったという。事の発端は、東京龍馬会に属するある航空会社のキャビンアテンダントから橋本さん宛に届いた1通の手紙。「世界にはシャルル・ド・ゴール空港、J・F・ケネディ空港、J・ワシントン空港など人名を冠した空港があるのに、日本にはなぜないのでしょうか。その第1号として、ぜひ高知空港を坂本龍馬空港にしてください」。
 橋本さんは思わず膝を打った。「そりゃあええアイディアじゃ」。だがどうやったら空港の名前を変えられるのか。まず東京の国交省へ行った。人を介してようやく会えた担当官は言った。「人名空港はやらないというのがわが国の方針であり、結論です。理由は、前例がないからです」まったくの門前払いだった。杓子定規な対応に情けなくなって、「あんた、日本人には文化がないの、あんたそれでいいのか。国の歴史に名を残した郷土の英雄の名前を空港につけて、なにがいかんのじゃ」。そう食い下がると、「あなたと文化論をしていてもしょうがない」と木で鼻をくくるように話を打ち切った。
 ところがである。しばらくすると、まったく別のルートから、「龍馬は人名ではない」と教えてくれる人が現れた。国際線のパイロットだった。「橋本さん、世界のパイロットがかならず持たなければいけない『航空路図』を知っていますか。これは、天候の事情などで予定ルート以外の空港に降りなければならないとき、管制官がキャプテンを誘導するとき使う国際規格の公式空路図で、どの機長もかならずキャプテンバッグに入れている地図なんです。そこに『龍馬』の名前が載っている。RYOMAは、日本国内や東南アジアを運航するパイロットならだれでも知っている、空の交差点みたいな有名なポイントです」。RYOMAというポイントは、甲浦(かんのうら/室戸岬から東の海岸線を40キロほど北上したあたり)の沖に確かにあるという。「なんだ、龍馬は人名のコードに引っかからないじゃないか」。
 橋本さんは、今度は関西の財界に働きかける。ところが財界人からも反応がよくない。「橋本という人は昔、龍馬で5万円札をつくろう、と言いだした変わった人だ。龍馬が死ぬほど好きな人だから、まともに相手にするな」そうささやく人もいたことを、あとで知った。ところが、である。そこが橋本さんの人柄だ。財界にいる学校の後輩が、先輩のためにこっそり教えてくれた。「先輩、国交省に行かなくてよかったんです。伊丹に行くといいですよ。伊丹には国交省の空港担当の役人が3人いて、関西の空港は彼らの管轄なんです」なーんだそうか、と思ったが、本省でだめなものが伊丹で通るとも思えない。まずは世論の後押しをもらおう、と橋本さんは龍馬会を通じて署名運動会を行なうと7万5000人も集まった。ひとりで5000人も集めた人がいたという。いよいよ空港担当官3人との面談の日取りが決まった。橋本さんは伊丹に行く前に、京都・霊山護国神社にある龍馬の墓に詣でた。
 空港の担当官は龍馬空港運動のことをまったく知らなかった。海外には偉人の名を冠した空港があり、日本も文化を大事にする気持ちがあるなら、高知空港が龍馬空港でもいいだろう。ところがRYOMAポイントの話はいっさいしなかった、という。なぜか。「テーブルの向こうに3人おって3人がかりで尋問しよる。あんまり緊張して忘れとったです」。ところが担当官は「おもしろいじゃないですか」と前向きだ。もともと、羽田空港も東京国際空港のニックネーム、成田空港も新東京国際空港のニックネーム、正式名称でなければ、高知空港のニックネームが龍馬空港でもいいじゃないか、ということなのかもしれない。実は担当官もRYOMAポイントのことは知っていて、当初は反論する論拠を準備していたらしい。あとで担当官のひとりは「なんであのとき龍馬ポイントのことを聞かなかったんですか、そうすれば反論して計画を止めたかもしれない。あてがはずれました」と呆れられたという。人を食った交渉はいかにも龍馬好み。がはは、と大声で笑い、元気で前向きで血色よくいつも笑顔の橋本さんの魅力も大きい。こんな人に「わしゃあええ思うとるのに、なぜできんがですか。まっことみんなのためになるがですよ」と言われれば、賛成するしかないのか。好感触を得た橋本さんは帰りも京都霊山護国神社に墓参をし、龍馬に丁寧に礼を伝え、海を渡って四国へ帰った。
 こうして実現した高知龍馬空港はしかし、あくまで愛称である。歴史上の人物を空港名に、この思いから時刻表への愛称併記が叶った。しかし、高知に続けとばかり、現状はかなりひどいことになっている。時刻表に愛称が掲載されている空港名は、釧路たんちょう、オホーツク紋別、富士山静岡、米子鬼太郎、対馬やまねこ、徳島阿波おどり、などがある。ほかにマリンエア(=神戸)、出雲縁結び、そんな名前があり、さらに南紀白浜パンダ、東京北(=茨城)、ウルトラマン(=福島/円谷英二の出身地)が検討中という。
 だから橋本さんはいま、愛称ではなく正式名称として龍馬空港への変更を真剣に考えている。

■土佐の高知のはりまや橋で、坊さんは誰にかんざしを買ったのか?
――《高知の城下に来てみいや、じんばもばんばもよう踊る、鳴子両手によう踊る 酔っちょれよ 酔っちょれよ》
 高知県の祭りといえば毎年8月毎年8月9日から12日にわたって行なわれる、「よさこい」祭り。今回のツアー終了2日後が今年の「よさこい」前夜祭の日で、わたしたちが県内を東奔西走しているあいだ、高知市内のあちこちでは踊りの総ざらいが行なわれていたはずである。「よさこい」はとにかく踊る、踊る、踊る。サラリーマンは給料を注ぎ込んで踊りに打ちこみ、就職しないでよさこいに青春の残照を賭ける人もあり、よさこいが人生そのものという人もあるという。高知市内に宿泊した1泊目の晩、宿を抜け出してこっそり行ったお店でも、居合わせた男性たちより、むしろ女性たちのほうがよさこい談義に夢中だった。彼女たちは祭りに参加する「連」と「連」とのヘゲモニー争い、スターダンサーやコーチの引き抜き合戦、連の中でのポジション争いや、年齢や地区を超えた恋愛情話に問わず語りに大輪の花を咲かせていて、ひょっとして「よさこい」は土佐の女性のための祭りではないかと思ったくらい。こうなったら、こちらまで延泊して祭りを見ないと一生の損のような気がしてきた。

■井本メモ DVD  

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●DVD『よさこい祭り』(受賞チーム編)
よさこいの受賞チームの演舞を1時間45分にわたって収録。龍馬の〝妻〟おりょうの視点で踊る連「十人十色」の踊りは圧巻。「秋色に染まる 夏の日の夕空は それはまるで人の夢の はかなさだった あけない夜はないんだとあなたは笑う だれよりも強くやさしい あなた笑顔」こんな自由な歌も挿入される。
○定価4600円 企画監修:高知商工会議所、よさこい祭振興会 電話088・875・1178 他に総集編4900円(DVD2枚組)もある。

「よさこい」はご存知のとおり、次のようなミステリー調の歌詞で知られる。
「土佐の高知の播磨屋橋で ぼん(坊)さん、かんざし買うを見た よさこいよさこい」
 死をにおわせる黒衣の僧と、それに似つかわぬあでやかなかんざし。これを耳にしたとき、横溝正史の手毬歌のように、暗く不気味な物語を予感するのは、わたしだけだろうか。
 歌詞の謎解きを、ツアーのドライバーさんがしてくれた。このプロ観光ドライバーさん、ときどき県の方や地元の方の解説を補ってくださるのだが、高知のことを実によくご存知で、ひとつの名所について歴史と人間とのかかわりを掘り下げて説明されるので、土佐びとの肉声として、すべての言葉が心に残った。
 さて、「よさこい節」である。これは明治のころ実際にあった話をもとにした歌だという。歌には次のような物語があった。

 明治のある日、京都で修行したエリート僧の純信(文政2年~明治21年/1819~88)が、ふるさとの高知市に帰ってきた。純信は37歳で高知市五台山の竹林寺住職となる。その寺にはすでに慶禅という寺僧があり、この僧には愛する娘がいた。鍋釜を修理する鋳掛屋の茶くみ女、当時17歳のお馬である。この若い娘に、エリート僧純信が恋をした。慶禅にはお馬のほかに人妻とつきあっていたという噂があり、お馬は都のにおいのする一途な純信に惹かれていった。慶禅は純信とお馬の気持ちを知り、激しく嫉妬する。「純信がお馬への色恋におぼれ、寺の仏像を質入れし、はりまや橋で桃色かんざし(紅サンゴのかんざし)をお馬に買ってやった」と言いふらした。じつはこの話、慶禅自身のことをすりかえた話という。ただし、これには異聞がある。お馬に求婚していたある金貸しが、お馬と慶禅を会えなくするため慶禅を誹謗するために作った歌だという説だ。さて、ついに禁断の恋慕に駆られた純信とお馬は、安政2年(1855)に手に手をとりあって駆け落ちをする。ところが藩を出た高松で、関所破りの咎によってふたりそろって捕縛され、高知に連れ戻されてしまう。裁きの結果は、岡田以三らがさらされたのと同じ3つの番所で顔さらしの後、引き離しの刑となる。純信は藩外の伊予(愛媛県)川之江で、お馬も別な地で、それぞれ別な人と結婚して安穏に暮らしたという。五台山竹林寺、純信堂、慶禅の墓所、ゆかりの名所は今も残されている。
 この艶話は芝居などで有名になり、昔からあった俗謡にのせて新しい歌となり、土佐で広く流行した。坂本龍馬二十歳のころ、土佐の高知のはりまや橋で、坊さんは確かにかんざしを買ったのである。

 さて第2日は、梼原へ向かう。高知自動車道を西へ走り、須崎東インターから一般道を土佐新庄に。途中、道の駅「かわうその里すさき」で小休止。まるで中国か台湾の茶の産地かと思うほど急峻な茶畑が、車を降りると屏風のように視界に飛び込んでくる。道の駅ではいろいろ面白いものが売っていた。土佐金(金魚の一種の子)350円、ダルマメダカ400円。リュウキュウ100円。須崎は、B級グルメの頂点を目指す「鍋焼きラーメン」の里でもある。

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急峻な須崎の茶畑。一見深山幽谷の果てに見えるが、じつは海岸まで数100mと、海に近い。

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土佐の日常食「リュウキュウ」。酢飯とあえたり、田舎寿司にのせたりして高知ではよく食べる。

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ダルマメダカ。川の小魚が観賞用に売られている。

■井本メモ 須崎名物「鍋焼きラーメン」のキャラクターは「ナベラーマン」。戦後1軒のラーメン店が発祥、出前のとき麺がのびないように蓋をしたのがきっかけだった。麺もややかたくのびにくく、どことなくすき焼に似ている。
http://www.cciweb.or.jp/susaki/nabeyaki/

 須崎から新庄川を北上して山中を走ると梼原の役場に着く。町の中心部は電柱を地下に埋設しているので、空が大きい。ここで出迎えてくれたのは25人を擁する梼原龍馬会の下元さん。下元さんの家業は農家、だが郷士の龍馬の姿がまこと似合う。この人、どこかで見たことがある。まさか――2008年8月7日号「坂本龍馬を旅する」で扉になった後ろ姿の龍馬は――「わし、よ」と下元さん。「あんとき取材に来た河内さんいう人は」「いまは編集長です」「おお、雑誌を洗濯しとるがか」とは言わなかったが、下元さんの楽しい案内で脱藩の道を歩く。

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「サライ」2008年8月7日号「坂本龍馬を旅する」で、章扉に龍馬役で登場した下元さん。

 梼原は山深い林産品の村だ。楮やみつまたを産する(隣の馬路村はゆず製品のブランディングに成功し人口1860人で年商30億の売り上げている)。一方、政治的には反骨の地でもある。公家の一条家が滅ぼされ、那須真吾など有能な人材が土佐藩主・山内容堂に殺されているので、藩に協力的ではなかった。村内には今も何個所かの「茶堂」が残っている。茶堂は村人の休憩・寄り合い所であり旅人の接待所、かつてはここで四国を行き来する旅人の情報を聞きだした。龍馬が脱藩できたのも、この地の気質によるところも大きかろう。梼原は昔から「まとうど信仰」(稀人信仰)があるので旅人にはやさしいそうだ。

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「土佐・龍馬であい博」梼原会場目の前の旧役場庁舎。

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であい博会場の出口付近で見つけた貼り紙。「あなたは何から脱藩したいですか」の質問に答えたもの。ほかに「宿題」や「高血圧」「酒の弱さ」「高所恐怖症」から脱藩したい人もいた。

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茶堂に腰をかける下元さん。あたりが幕末になった。

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村の名前になった「梼」の木。

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藤原氏とのつながりが伝承される梼原の神楽。

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「曲げ」の技術を駆使した木造の梼原橋。

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彫刻「脱藩の門」、龍馬や那須真吾などの幕末群像がロダン調で展示されている。

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昼食は「農家レストランくさぶき」の脱藩定食。右上からナスのたたき(ナスを揚げて特製タレをかける)、田舎そば(梼原産のそば粉でざっくり打った)、豆腐の梅酢漬け、雉飯、野菜の炊き合わせ、まんなかは豆腐の梅酢漬け。

 店を切り盛りする上田智子さんは、「いちょうの木」という農家民宿もやっている。夫も農家で山菜、あめご、うなぎ、猪も季節に応じて供す。現在のヒット作は「無添加 おばちゃんの手づくりお山のドレッシング」素揚げしたナスにかけて食すとさわやかで旨い。大鍋で炊いて容器に詰め、ラベル貼りまでおばちゃんの手づくりだという。
 昼食のときは、ツアーのみんなでこんな話題をおしゃべりしながら盛り上がった。四国4県の気質をたとえる有名な話に、「もし1万円を拾ったら?」という小咄がある。もし1万円を拾ったら、徳島県人は全部貯金してしまう、香川県人は5000円を貯金して5000円で飲みに行く、愛媛県人は全部飲んでしまう、そしてわが高知県人は拾った1万円に自分で1万円を足し、2万で飲みに行ってしまう。わたしも1万円足すから3万円で飲みに行きたい。やっぱり土佐がいいなあ。

■井本メモ  農家レストラン くさぶき
http://gt.ohrai.jp/detail/39405/3359.html

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くさぶき特製「無添加 おばちゃんの手づくりお山のドレッシング」。

■サライ編集部 副編集長 井本一郎

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