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錦絵の黄金時代 清長、歌麿、写楽-『ボストン美術館浮世絵名品展』

 現世、つまりこの世というものは、元来は楽しいものではなく、生きることはつらいことでした。仏教的無常観が人心を支配し、みなが来世に極楽浄土へ往生することを願った平安時代は、この世とは憂うべきもの、つまり「憂き世」だったのです。
 500年のちの江戸時代は、天下は太平、農業をはじめ諸産業が発達して貨幣経済も成熟し、平均寿命も人口も平安時代とは比較にならないほど伸びました。平安時代の庶民は貧困にあえぎ、文化などには縁もありませんでしたが、江戸時代は庶民こそが文化の担い手になっていました。人々はこの世を楽しみ、人生を謳歌するようになっていました。
 この世は、「憂き世」から、むしろ浮かれて楽しむべき「浮き世」となっていました。

 浮世絵は、そんな江戸時代の当世の風俗を描いた絵画ジャンルです。
 17世紀に誕生し、幕末・明治まで続きましたが、最盛期は江戸時代後期。とりわけ天明・寛政年間(1781-1801)は、才能ある絵師が多数出現し、多重刷り技法も成熟し、また版元の活動もとくに盛んで、浮世絵の黄金期とよぶにふさわしい時代です。
 本展覧会は、ボストン美術館の浮世絵コレクションから、天明・寛政期のものだけを選りすぐって構成されており、鳥居清長、喜多川歌麿、そして東洲斎写楽という、この黄金期に活躍した絵師たちの錦絵(多重刷りの版画)がずらりと並んでいます。

 ボストン美術館は海外でもっとも充実した日本美術のコレクションを所蔵していることでしられており、仏画や絵巻、屏風など、日本にあれば確実に国宝指定を受けるであろう名品が多数所蔵されています。
 浮世絵コレクションもひじょうに優れており、量・質ともに世界屈指です。
 浮世絵は庶民の絵画であって、いまでいえば雑誌のグラビアのようなもの。表装して床の間に飾るようなものではなく、壁に糊で貼りつけて飾られました。かならずしも大事に扱われるようなものではありませんから、よい状態で残されたものは多くはないのです。
 しかし、本展の出品作はばつぐんの保存状態です。まるで昨日刷り上げたかのように、画面の鮮度が高く、退色しやすい色も鮮やかに残っていて、浮世絵の美が堪能できます。

 錦絵は、絵師が下絵を描き、彫師が版木に彫り、摺師(すりし)が摺り上げて、これを版元が販売します。有名な歌麿や写楽、あるいは北斎や広重は、いうまでもなく絵師です。
 しかし、状態のいい作品ばかりで構成される本展では、絵師だけでなく、ぜひ彫師、摺師のすばらしい仕事も味わっていただきたいものです。女性の髪の毛の一本まで彫りだした細かく繊細な彫り、顔料にまぜられた雲母が渋い光沢を放つ雲母摺(きらずり)など、江戸時代の職人の創造性には驚嘆させられます。日本人であることを誇りたくなるような仕事ぶりといってもいいでしょう。

 浮世絵は19世紀に西洋に紹介されるや爆発的なブームをよび、「ジャポニズム」という語がうまれました。印象派ほか多くの画家たちは浮世絵に熱狂し、浮世絵は西洋美術の流れを変えるほどの大きな影響を与えました。日本が世界にたいしてもっとも影響を与えたのはほかでもない美術という分野であり、その立て役者が浮世絵なのです。
 そうであればこそ、ボストンという世界有数の名門美術館に、これほどの浮世絵コレクションも存在するのでしょう。
 なにかと日本の現状を憂いてしまうようなニュースが多い昨今ですが、本展は日本人としての自信が湧き上がってくるような展覧会ともいえます。
 昨夏から神戸、名古屋を巡回し、東京にやってきた『ボストン美術館浮世絵名品展』。東京のあとは千葉(4/26~6/5)、仙台(6/24~8/14)を巡回します。ぜひ多くの方に足を運んでいただきたい展覧会です。

9
喜多川歌麿 『青楼遊君合鏡 丁字屋 雛鶴 雛松』
大判錦絵36.6×25.1cm/寛政9年(1797)頃
遊女ふたりを合わせ鏡のように向き合わせる趣向で描かれたシリーズのなかの1点で、吉原の大店・丁字屋の高級遊女を描く。透けた団扇や髪の生え際の彫りの細かさに驚かされる。

Photograph(C)2011 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved.

65
東洲斎写楽 『市川男女蔵の奴一平』
大判錦絵37.9×24.9cm/寛政6年(1794)5月
河原崎座の『恋女房染分手綱』の登場人物、奴一平が刀を抜きつつ見得を切る緊迫の場面を演ずる市川男女蔵(生没年不祥)を描く。写楽は謎の多い絵師で、寛政6年に忽然と画壇に登場し、翌年には姿を消した。活動期間1年にも満たず、その間140の作品を残している。

Photograph (C)2011 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved.

■山種美術館
〒150-0012 東京都渋谷区広尾3-12-36
03-5777-8600 (ハローダイヤル)
http://ukiyoe.exhn.jp/index.html

■ライター/稲本義彦
京都生まれ。フリーランスの編集者として、おもに美術、音楽、歴史、日本文化といった分野の書籍、雑誌を手がけている。『西国三十三所結縁御開帳公式ガイドブック』(講談社)、『週刊 日本の仏像』(講談社)など企画、編集、執筆多数。

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