ホーム > コラム > 美女についての常套句 ~話芸のことば探訪~

前の記事

次の記事

コラム

はてなブックマーク - 美女についての常套句 ~話芸のことば探訪~このエントリーを含むはてなブックマーク Twitterにつぶやく

美女についての常套句 ~話芸のことば探訪~

 五代目古今亭志ん生「姫かたり」によると、美女というのは希少な存在で、千人に一人ないそうである。落語や講談で美しい女を形容する文句といえば、まず常套的なものとして、

沈魚落雁閉月羞花(ちんぎょらくがん・へいげつしゅうか)

を挙げなくてはならない。「花も恥じらう乙女」などとよく言うが、これはそれをさらに大げさに言ったものである。魚や雁(がん・かり)も恥じらって、というよりびっくりして姿を隠し、月は雲間に隠れ、花はしぼんでしまうほどの美女のこと。

小野小町か楊貴妃(江戸訛りだと「ようきし」である)か、普賢菩薩の再来か、常磐御前か袈裟御前、お昼御膳は今済んだ

という、古今東西の美女の名を列挙する手口もおなじみだろう。ここで語呂合わせになっている「お昼御膳」の「御膳」は、「食事」を丁寧にいう婦人語。
 ふつうの刃物と名刀が違うように、普通の女と美女は、もちろん同じ人間だけれどもずいぶん性質が違う。美女は、持ったら人を斬りたくなる名刀のように気を放つ、険難(けんのん。「剣呑」とも。危ない、不安であるの意)なものであって、落語や講談の筋では「危険信号」のようなものだ。
 美女(「じーっつにいい女」……って、何もそんなに力むこたぁないが)が出てくると、必ず登場人物間にただならぬ緊張が走り、無事ではすまない、というのが話芸の通り相場であって、美女はどうかすると幽霊よりもコワイ。落語はまだ傷が浅い方だが、極端な人物が異様な事件を起こすのが「お約束」である講談では、大抵話芸での美女は、

笑いを含めば一城を傾く

などといって、たとえば講談の「妲妃(だっき)のお百」などで、いわゆる毒婦となって悪事をはたらき、一国の運命を危うくするほど罪作りである。この文句の「傾く」は「覆る」の意。「漢書外戚伝」の「一タビ顧レバ人ノ城ヲ傾ケ、再ビ顧ミレバ人ノ國ヲ傾ク」がこの言い回しの元ネタだろうか。こうした女には、生まれつきおのれの身にもよく災いが降りかかる。

外面如菩薩内心如夜叉(げめんにょぼさつ・ないしんにょやしゃ)

というような言い回しも、美しい女にからんでよく出てくる(講談「天保六花撰」、落語「お直し」等々多数)。これは仏法修行の際、「女人は美しく優しく見えるけれど、心の中は冷酷無惨なものだ」として、自戒に用いられた言葉だ。
 「人はやっぱ、なんだかんだ言って所詮見た目優先」というのが今の世のセオリーらしいが、落語や講談に出てくる、もとトンチ少年・一休禅師は、

骨かくす皮には誰も迷ふらん 皮破るれば斯くの姿ぞ

これは「美女がひとたび死んで髑髏になると、以前美しかったか醜かったか区別がつかぬ。美醜とは要するに、骨の上にかぶった皮だけの問題ではないか」の意。

あるいは、

骨かくす皮にはだれも迷うなり 好きもきらいも皮のわざなり

といった歌を残したらしい。道歌や教訓和歌を集めた本には必ずといっていいほど載っている。こんな歌はひょっとすると禅師に託した後世の人の創作ではないか、とも思われるのだが、禅師ほどの偉人にもあさはかな凡夫同様、「コワイと百も承知しても、どうも美女が気になる」下心があってほしい、という願いがこもっている気がする。

■ライター/松井高志
フリーライター。著書に『人生に効く! 話芸のきまり文句』(平凡社新書)、『ナンドク 難読漢字自習帳』(バジリコ)、『江戸に学ぶビジネスの極意』(アスペクト)など。

前の記事

次の記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:

この記事へのトラックバック一覧です: 美女についての常套句 ~話芸のことば探訪~: