浮くも沈むも水次第~話芸のことば探訪~
松崎観瀾(まつざき・かんらん)という人(武士であり儒者でもあった)が享保のころに著した(出版はされず、写本で広まった)随筆集で『窓のすさみ』という書物がある。著者が見聞した当時の美談集で、ここに納められたエピソードのいくつかは、講談や落語の原話になっている。また、講談や落語でおなじみの常套句についても触れている箇所があって、話芸ファンにも面白く読める。この本に、次のような話が収めてある。
ある殿様が、家来ともども能『安宅』(歌舞伎では『勧進帳』である)を鑑賞して、「ああ、今の世に弁慶のような忠臣はおらんのう」とぼやく。これを聞いたある小身の家来が、「仰せの通りですが、大勢の人の中には、弁慶がいるかもしれません。それよりも、義経の方が得難いと思われます」と、殿様にたてつくようなことを言いだした。
「君は船なり臣は水なり、水能(よ)く船を浮かべまた能く船を覆す」
という名句を、この家来は引用する。主君は舟、臣下は水にたとえられる。主君は臣下に支えられるが、場合によっては波のために舟が覆ることもある、という意味だ。オリジナルは『荀子』(じゅんし)にある。
この家来は、“能く船を浮かべ、また船をくつがえす”という著明なこの文句はあまりに無情で殺伐として君臣の情に欠ける、と言う。水が荒れて舟がひっくり返るというが、そうではない。水は無心なものであって、舟が覆るのはそれを操る者のせいではないか。舟を臨機応変に操るように、臣下を憐れみ、私心なく、知謀をもって用いれば、仕える者は常に主君のためを思って動く。義経は「能く愛し能く用ひ、誠を以て」臣下に接したから、弁慶一人のみならず、四天王と呼ばれた人々なども、身を捨て、艱難辛苦を乗り越え、運命をともにした。譜代相伝の家臣も及ばぬ忠誠を示したのである。
「伯楽有りて後千里の馬あり、千里の馬は常にあれども伯楽は常になし」
というのは、こういうことをいうのではないか、弁慶に相当する者は、実はいくらも埋もれている、けれどもそれをよく見出し、愛し、用いることのできる義経がいないのではないか。以上のようにこの家来は殿様に意見した。
おそらくこの男は、重臣ではなく軽い身分であるから、失うべき立場もなく、大胆にこのような、殿様にとって耳の痛い発言ができたのだろう、とも思われるが、あえて恐れずにこう諫言した男、その度胸がこの美談のキモなわけである。この男がその後どうなったかは、残念ながら『窓のすさみ』には書いてない。
ちなみに、“君は船なり~”は講談の『妲妃のお百』、“千里の馬~”は同じく『寛永三馬術』などに引用される文句として、それぞれおなじみである。
■ライター/松井高志
フリーライター、1960年愛知県生まれ。著書は「人生に効く!話芸のきまり文句」(平凡社新書)、「ナンドク 難読漢字自習帳」(バジリコ)など。
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