泥に酔う鮒~話芸のことば探訪~
我々は何かのはずみでえらいピンチに立たされることがある。それは昔の江戸っ子だって変わりはない。彼らがしごくのんびりした時代に、プレッシャーも感じず、パニックにも陥らずに生きていたというのは、我々が抱きがちな妄想にすぎないのだ。
滑稽本『花暦八笑人』(瀧亭鯉丈)に、こんなくだりがある。
【呑七はうつゝのごとく、泥に醉(ゑひ)たる鮒のごとし】
あるお屋敷で、主人公の役者達が素人芝居の『忠臣蔵』の五段目(山崎街道の場)を演じることになった。その中の、千崎弥五郎役の呑七という男が、舞台へ出る道筋を間違えて盗賊に間違えられ、お屋敷の侍に当て身を食わされて気絶した。その影響か、芝居のえらく場違いなところへ当て身のショックを引きずり、ボーゼンとしたまま出て行くはめになってしまう。上記は、その形容である。「泥に酔った鮒」というのは、「泥に酔った魚」ともいうが、ほんのわずかな泥水の中で息も絶え絶えな鮒のことで、【轍鮒】(てっぷ)ともいう。今の言葉で言い換えれば〔いっぱいいっぱい〕だろうか。
【轍鮒】は、講談の軍談ものなど、堅めの演目で、ときどき耳にする表現である。【轍】(わだち)は〔車が通ったあと、車輪でできたくぼみ〕。そこに溜まったごくわずかな水の中であえいでいる【鮒】を、〔困窮している人・ピンチに立った人〕にたとえたものと、それぞれ解釈される。たとえば、『太閤記』の賤ヶ岳の戦いのくだりには、こういう地の語りがある。
【總大將が來るといふので、いづれも轍の魚が水を得た心地して、やつと勇氣を囘復いたしました】
これは羽田長門守の陣中が敗軍で意気阻喪、動揺していたところへ、神子田(みこだ)半左衛門という人物が、「まもなく筑前守殿(秀吉)が来るぞ」というまったく根拠のない希望的な情報を流して、士気を高めた、という場面である。とっさの機転であっぷあっぷしてる鮒に水をやって、いや、今に水をやるぞと騙して、敗走のピンチをしのいだというわけだ。
■ライター/松井高志
フリーライター、1960年愛知県生まれ。著書は「人生に効く!話芸のきまり文句」(平凡社新書)、「ナンドク 難読漢字自習帳」(バジリコ)など。
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