新装第2回「人形町らくだ亭」は6月23日開催です
このブログにも書かせていただきましたが、去る5月17日、装いも新たに再開した「人形町らくだ亭」は、おかげさまで大盛況でした。チケットぴあでは4月末にチケットが完売してしまい、入手できなかった方には本当に申し訳なく思っています
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このブログにも書かせていただきましたが、去る5月17日、装いも新たに再開した「人形町らくだ亭」は、おかげさまで大盛況でした。チケットぴあでは4月末にチケットが完売してしまい、入手できなかった方には本当に申し訳なく思っています
漫画家の尾瀬あきらさんといえば、『夏子の酒』(講談社刊)や『蔵人-クロー
ド-』(小学館刊)など、日本酒の蔵元を描いた作品で知られていますが、ただいま発売中の『ビッグコミックオリジナル』(小学館発行/毎月5日・20日発売)12号から、落語の世界を描く漫画の連載が始まりました。
小学館では去年の10月まで約2年間、「らくだ亭」という落語会を開催していまして、月1回のペースで、24回の公演を行ないました。いずれの会も大盛況で、ご好評をいただいていたんですが、しばらくお休みをいただいておりました。
『落語 昭和の名人 決定版』全26巻の刊行が終わり、続編の刊行へ向けて準備を進めている今日この頃ですが、いま、あたしの携帯電話の中には、この全26巻のCD収録音源がすべて入ってます。で、通勤の電車の中で、聴きたいものを聴いてるんですがね。
昨日も新宿末広亭「三木助追善興行」で、三代目の長女・小林茂子さんの自伝『生きてみよ、ツマラナイと思うけど』を売らせていただきました。雪らしきものがぱらつく悪天候にもかかわらず大入りで、桟敷席も8割方、埋まっていました。
昨日の記事にも書きましたが、新宿末広亭の夜席は2月10日まで、「三代目・四代目三木助追善興行」をやっています。あたしは三代目の娘で四代目の姉、小林茂子さんの『生きてみよ、ツマラナイと思うけど』(小社刊)を場内で販売するため、ほぼ毎日、末広亭に通うことになってます。
年配の落語好きには、「子供のころ、金馬を聴いて落語の魅力を知った」という人が多い。戦前から戦中、戦後を通じ、もっとも売れに売れた噺家が金馬である。
それも、東京の落語通や評論家に評価されるのでなく、レコードやラジオといった新時代のメディアを通じて大衆に支持される形で、金馬の落語は全国津々浦々に知れ渡っていた。
信念を曲げず
――貫き通した圓朝直系の芸
昭和25年、蝶花楼馬楽(ちょうかろうばらく)は、柳家小さん(やなぎやこさん)の名跡を激しく争っていた。相手は九代目柳家小三治(こさんじ)(のちの五代目小さん)だったが、どうやら分が悪い。このままでは、20歳も年下の噺家が、自分より上位の名跡を継ぐことになってしまう。それでは恰好がつかないと、周囲も動き出す。
そこで浮上してきたのが、林家正蔵の名跡であった。その前年に七代目(初代林家三平(さんぺい)の父)が他界したため、林家正蔵の名跡がたまたま空いていたのだ。こうして、名跡を一代限りの条件で借り受けるという異例のかたちで、八代目林家正蔵が誕生した。
やかん頭にぎっしり詰まった
――博識と愛情
レコードやラジオという新時代のメディアに落語をのせて、全国に笑いを振りまいた名人――三代目三遊亭金馬といえば、親しみやすいわかりやすい口演で、一般大衆に支持されたイメージがある。だがその一方で、この人気者は書斎で思索する博学の人でもあった。
金馬の十八番に『やかん』という噺がある。世の中に知らないものはないという長屋の隠居が、無学者の素朴な疑問に答えるうち、いつしかナンセンスの応酬になってしまう一席だ。金馬が演じる隠居は、正しい知識を語るときは理路整然と、よく知らないことを語るときには威風を払っていかにもそれらしく振る舞い、大いに笑わせる。生涯大事にしたネタであるが、金馬は仲間内で、この噺になぞらえて「やかんの先生」とあだ名されていた。
「柳好さんは、楽屋で聴いていてもちっとも上手いとは思わない。しかしあの明るさは、私にはとても真似ができない」
昭和の落語界を代表する名人・八代目桂文楽(かつらぶんらく)をしてこう言わしめた噺家こそ、三代目の春風亭柳好である。決して主流、正統の芸ではなかったが、寄席の客を喜ばせることでは、第一人者だったといってよいだろう。
幻影を振り払って
――咲かせた自分だけの花
ゆっくりとしたテンポの心地よい語り口のなかに、誰もがわかりやすいくすぐり(ギャグ)が随所に交じる。天衣無縫をうたわれた父・五代目古今亭志ん生とは一線を画す、不思議な透明感のある江戸落語の世界を構築してみせたのが十代目金原亭馬生である。
弟の志ん朝(しんちょう)の落語がよりアップテンポで華やいだ色彩感をもつとするなら、馬生の語りの世界は、むしろ墨絵にも似た清澄さが持ち味。それでいて、その墨の濃淡のモノクロームの画面に、いきなり強烈な色彩を見たような感嘆を伴うのが馬生落語でもある。
終生の長屋暮らし
――謹厳実直の噺家
時代の風をつかんで、古くからある噺を現代風にアレンジしてみせることは、噺家にとってひとつの醍醐味には違いあるまい。にもかかわらず、時代に少しもおもねることなく、伝統の型を頑なに守り、次世代に伝えようとしたのが八代目林家正蔵である。
それゆえ派手な人気とは無縁だったが、落語通の評価は高かった。五代目古今亭志ん生(ここんていしんしょう)は、次男・志ん朝(しんちょう)が噺家になるとき、真っ先に正蔵のもとへ通わせている。江戸落語の確固とした型を、正蔵に見いだしていたのだろう。
八方破れで遊蕩三昧の生きざまのなかに培われた、天衣無縫にして自由奔放な芸で、客席をかき回しては抱腹絶倒の渦に巻き込む。五代目古今亭志ん生は、存在そのものが一個の芸といっていい、特異な噺家だった。
志ん生門下の古今亭圓菊(えんぎく)師匠が言う。
「志ん生が高座に上がると、それだけであたりの雰囲気がぱあ~っと明るくなる。志ん生ならではのことで、まるで照明を強くしたように、場の空気が変わるんですよ」
志ん生落語は、あくまで「客を愉しませて帰すこと」を第一にしていた。それも「まくらから笑わせる」というのが信条だった。
五代目柳家小さんが、国の重要無形文化財保持者“人間国宝”に認定されたのは平成7年4月、80歳のときである。落語界では初の快挙だった。当時、寄席の高座では、こんな噺のまくらが流行ったという。
「えー、本日は人間国宝の小さん師匠がお見えです。くれぐれも失礼があってはなりません。皆さん、決して笑わないように」
――職人芸を極めた名人
23分30秒――。 桂文楽の『明烏』の寸法である。現存するどの音源を聴き比べても、誤差はわずか10数秒。まったく別の日、別の高座で演じられているにもかかわらず、その一言一句に違いを見つけるのが難しいほどだ。いっさいの無駄を省き、磨き抜いた噺だからこその23分30秒。ほかの誰にも真似のできない、文楽ならではの芸当である。
--人間国宝は自然体
昭和30年代は空前の落語黄金期。寄席に加えて、選りすぐった演者の芸をじっくり堪能する主旨で始まった〝ホール落語〟が全盛だった。ホール落語の高座が名人の証明・評価にもつながったが、常連には五代目古今亭志ん生(ここんていしんしょう)、八代目桂文楽(かつらぶんらく)、三代目三遊亭金馬(さんゆうていきんば)、六代目春風亭柳橋(しゅんぷうていりゅうきょう)、八代目林家正蔵(はやしやしょうぞう)、八代目三笑亭可楽(さんしょうていからく)、六代目三遊亭圓生(えんしょう)、三代目桂三木助(みきすけ)らがいた。いずれも明治生まれの噺家である。その名人の列に、はるか年下の大正生まれの噺家がひとり名を連ねていた。
後年、落語界初の〝人間国宝〟にも認定される五代目柳家小さん(こさん)である。親交のあった、演芸評論家の矢野誠一(せいいち)さんは言う。
--〝ミスター落語〟
「江戸弁が逝った」
「江戸落語の灯が消えた」
その訃報が流れたとき、落語界の喪失感は凄まじかった。平成13年10月1日。江戸落語の正統を継承、絶大な人気を誇っていた三代目古今亭志ん朝が亡くなったのである。