最高ランクの日本酒が堪能できる年一度の祭典『日本酒フェア 2010』
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■アマゾン上陸前夜
1995年、横浜でひとりの男がちょっとした思いつきを形にした。インターネットを使って、探している古本が手に入ったら便利にちがいない、というアイデアだ。知り合いの古書店にたのまれ、ボランティアではじめたこの「古本検索サイト」は静かにファンを増やし、1996年には、その男が勤めていた一部上場企業を辞め、サイトを事業化しようと考えさせるほどの規模になった。インターネット古書サイト「紫式部」の誕生である。
Yahoo!、Googleなどの検索エンジンで「古書 紫式部」という言葉を放り込むと、運営会社の紫式部が運営する古書検索システム「スーパー源氏」が現れるので、これを選択。「スーパー源氏」のトップページが表示されたら、探している本の書名か著者名、出版社名のどれかを入力する。うろおぼえならわかるところまでの単語でいい。それで、ちゃんと調べてくれる。該当する本があると、北海道から沖縄まで、紫式部が提携する古書店の在庫リストが現われる。
「初版」「復刻版」「帯付き」「シミあり」など、状態と価格を比べて条件が合えば、その本を在庫する古書店に購入の意思を伝える。すると、数日後には振込用紙が同封された現物が届く。今から15年も前のことである。夢のようなシステムだったと思う。
■幸福な楽器、悲しい楽器
6月5日、東京・千代田区の紀尾井ホールで、昨年のサライ大賞を受賞したアリエル・アッセルボーンさんが、「サライ大賞受賞記念」と銘打って、コンサートを開催した。ギターと歌だけで通すソロ・コンサートである。
■神保町に小さな染みがついた
「サライ」編集部がある、東京都千代田区神田神保町は、世界最大の「本の街」といわれる。先日も7月10日発売のサライ「軽井沢特集」のページづくりをしていたら、記者氏が古い雑誌に載った面白い写真を見つけてきた。しかし権利関係がわからず掲載は不可能という。明治20年代の碓氷峠を写した1枚で、馬車鉄道が列になって峠道をのぼり、山の斜面では後の信越本線の碓氷トンネルが掘られている貴重な古写真だった。掲載されていたのは10年以上前の鉄道専門誌なので担当編集者も記者もわからない。こんなときは同じ写真が載る書籍を見つけ、出版元に転載許可を得るのが常道である。心当たりの鉄道専門古書店を2軒ほど回ろうとぶらりと町内に出ると、1軒目にして『さよなら碓氷線』(碓氷線を守る会編・あかぎ出版)という本が見つかり、同じ写真が大きく載っていた。さっそく群馬県にある版元に電話をかけ、転載のお願いをすると、その場で快諾していただき、サライに掲載できることになった。記者氏の資料が手元に届いてからおよそ1時間半で全部解決。もっと喜んでもいいはずだが、実はこうしたことは珍しくない。ここでは当たり前に起きることである。
■永遠の海景
東京に持ち帰ったテープは思いのほか明瞭で、テープ起こしをプリントアウトしたものを読むと、とみさんと仲間の掛け合いがおもしろい。掲載時にタイトルにした「夢も見んほど海が好きや」という言葉も仲間との雑談から引き出された言葉だ。結果として志摩の「ナアナアの時間」に委ねてよかった。追加の資料として、この連載の「その4」で紹介した2冊の本も取り寄せた。
そのうちの1冊、昭和14年刊行『志摩の海女』の復刻本から、海女の一般的な暮らしぶりを引いてみる(一部中略)。
写真は、越賀の漁港。テトラポットの向こうは、海女たちが潜る太平洋。
■自給自足の村
ここはほんとうに太平洋か、どこかの内海ではないのか、と錯覚しそうなベタなぎの海を、漁を終えた海女舟が何艘も北上している。私たちの舟も越賀の漁港に向かった。エンジンの音と海風がこんなに相性が良いものだとは気づかなかった。東西に長い先志摩半島の南側は太平洋、北側はおだやかな内海の英虞湾、舟が帰る越賀は半島西端近くの太平洋側に位置する。海が荒れれば北側の英虞湾に舟を出す、とおっしゃって下さったが、漁は太平洋側がおもしろいようだ。
(写真左/徒人(かちど)をしている、とみさんの親戚の齊藤美穂さん。この日は蛸を捕獲。午餐でこの蛸を茹でてくださった。
写真右/茹でたての蛸をほおばりながら、越賀の豊かさを実感する。美穂さん自身は食べたのだろうか。残りも、わたしたち3人のお土産としていただいてしまった)
■インタビュー危うし
三重県の観光といえば伊勢神宮が南限で、外宮・内宮を参拝し、おはらいまちを遊山したあとは、時間と財布に余裕があれば帰路北上する途中松阪で下車、すき焼きを堪能し松阪木綿を手に入れて名古屋や大阪経由で家路に就くのが常套とされる。しかし、伊勢からさらに南に下りて志摩半島に入ると、そこには「天然の三重」というより「手つかずの日本」が横たわっている。多彩な生物を育む複雑なリアス式海岸、入江ごとに現われる小さな漁港、漁港の後背地に軒を寄せ合う集落、切り立った岬から見晴らす海景色、半島の高地を覆う深い森、希少な平地を利用した小規模な田畑、高地の展望台から見遥かす水平線の落日、これらは好き嫌いは別として日本らしさを形づくる定番の要素だ。志摩半島は食においても豊かこのうえない。安乗(あのり)フグ、宝彩海老(数百グラムもある巨大車海老)、さざえ、黒アワビ、鯛、どれも天然ものが、店を選び予約さえしておけば食すことができる。忘れてならないのは豊富な食材の一部は伊勢神宮125社の神々の食事、御饌(みけ)の食材でもあること。志摩の海や野の幸をいただくことは神様と共食することにも通じる。
■海女(あま)の話が聞きたい!
「いよいよ今週末ですね、4月3日土曜日、よろしくお願いします。名古屋から近鉄特急で11時に鵜方(うがた)に着いて、そこからレンタカーで向かいますから、11時半には越賀(こしか)の漁協前にうかがえると思います」
「何人で来るの」
「記者とカメラと私の3人です」
「昼ごはんを食べたらいかんよ、手こね寿司作っとくから」
名古屋市錦にある娯楽の殿堂「第五錦ビル」に27年にわたって店を張っていた、バーのオーナーが亡くなった。お店の名前を「リフレイン」という。バーといってもバーテンダーがいるわけでもなく、名物カクテルがあるわけでもない。L字型のカウンターにスツールが10数脚、日が暮れて家に帰りそびれた雀やら、ヒヨドリやらが正気を取り戻すために羽を休める止まり木のような店だった。カウンターの上には大ぶりの常滑焼の壺がでんと置かれ、たまに開店より少し前にドアを開けると、凛と和装したオーナーのOさんが壺の上でその日の花材と格闘していることもあった。カウンターの内側にはOさんと、女子大生かOLか、その時々のお手伝いの娘さんがひとりの、2人で店を回していた。
『幻の日本酒』とは?
日本酒の特集などで、幻という表現がよく使われますが、実際には結構飲めたり、手に入ったりするものは多いようです。ところがここで紹介するものは、絶対本数が極端に少ないため、造る前から買い手が決まっていたり、発売した途端に売切れてしまい、人の記憶にしか残らない本当に幻の酒。日本酒にもロマネコンティーはあるのです。
城山さんと歩いた父・母たちの世代
撮影した写真を全部並べて、1ページずつ誌面をつくっていく。「サライ」は先割(さきわり)という方法で誌面をつくる。まず、担当者が見開きごとの大きな見出しを決め、そのテーマに沿うよう写真を並べていく。担当者が考えたページ構成と写真の流れを、編集長と副編集長を交え、唐突だったり不足している視点はないかを修正しながらデザイナーに手渡す。デザイナーは写真に大小をつけ、文字や罫線にさまざまな技巧を凝らし、編集が「おおっ」と唸るようなページデザインを出力して届けてくれる。この段階の本文と写真説明文はすべて○○○○○○○と、○印で表わされている。この割り付けを記者に送り、最後に記者はこの○○○○○○○を埋めていく。先に「割り付け」(レイアウト、デザインともいう)をして、あとで原稿を書くから、先割りという。
小さな取材秘話
元・新潮社の梅澤英樹さんは『落日燃ゆ』のほか、城山さんのヒット作品を何冊も手がけた文芸編集者。とくにA級戦犯・広田弘毅の実像を描いた『落日燃ゆ』は、今日も城山さんの代表作として書店の棚から切れることはない。当初このタイトルは著者本人と意見が合わず一度は決裂したという。城山さんが提案したタイトルは『自ら計(はから)わず』。作品が発表された昭和49年は田中角栄の全盛期。権力と金脈が大手を振って闊歩する風潮のなかで、広田の生き方「猟官や金儲けを自ら計らうことなく、必要とされる時と場を待つ」を直球に反映させたものだった。これに対し、『落日燃ゆ』を提案した梅澤さんに、「僕には意味がわからない」とぽつんと漏らしたという。
50年もつづいた同人誌「クレトス」の仲間たち
名古屋取材で忘れがたいのは、城山さんが1954年、27歳のときから2005年、77歳になるまで50年にわたって参加していた文芸同人「くれとす」の國司通(くにし・とおる)さんにお会いできたことだった。
「サライ 城山三郎特集号」(2008年2月21日号)の思い出
サライに異動してきて5年、たった一度だけ入稿中に落涙してしまったことがある。「サライ」2008年2月21日号「城山三郎の生涯に学ぶ」の最後の段落の原稿を読んでいたときのことだった。
■テレビ、ラジオに天才の音楽は流れない
アルゼンチンのラジオは古い音楽をいつもかけている。なんでいつも同じ音楽をかけているんだろうと思う。「われわれは変わらないんだ!」そんなふうにみんながそこに残ろうとしているみたいね。アルゼンチンは工業の国ではなく農業を輸出する国。林檎を育てたり、牛を飼ったり、気質もガウチョ(カウボーイ文化)だね。土と香りに触れている生活が残っているから古いものに残りやすい側面もある。でも人々をそこにとじこめているのは、マスメディアが悪いと思うよ。
だから私はマスメディアとは距離を置きたいと思っている。『サライ』はちがいますよ(笑 上写真は、若き日のアリエルさん)。
■6月5日(土) アリエル・アッセルボーンさんのコンサートへ行こう
第8回サライ大賞を受賞したアリエル・アッセルボーンさんの受賞記念コンサートが、6月5日土曜日、東京の紀尾井ホールで開催されます。この日のための新曲も用意されているそうです。ぜひ聴きにいらしてください。
■街道に浮かぶ都「奈良」
以前から気になっている1本の有名な直線がある。和歌山県南端の潮岬から、福井県の小浜に1本の線を引くと、ほぼその線上に、南から熊野本宮、飛鳥浄御原宮跡、藤原宮跡、平城宮跡、平安京跡、そして小浜の神宮寺が乗る。東大寺修二会と小浜の送水行事をセットで考えていたときは、たとえば忍者につながるような山の民による、潮岬から小浜までの南北の大街道を空想したいと思った。実際には潮岬と小浜を1本で結ぶ街道は実在しないが、そこに山びとたちが自由に往来するネットワークを想定したかった。だが五来氏の文章を読んだいまは、若狭~奈良を直接結びつける根拠がなくなってしまった。素人が思いつく壮大な構想というものは、所詮意気地なしである。
■<若狭―大和>地下水路伝説と「お水送り」
お水取りこと東大寺・修二会は、毎年3月1日~14日の2週間にわたって、綿密なスケジュールのもとで執行される。とくに第12日目(つまり3月12日)は、「お水取り」という通称の由来となった若水汲みの儀が執り行なわれる。午前2時ころ、登廊からの入口と逆の南側の扉が開き、神主の装束をした人たちが桶をかついで本尊に供える香水を汲みに二月堂下の閼伽井に下ってゆく。内陣からは外の様子は見えないが、外では法螺貝や雅楽が華麗に響き渡る。ほら貝、神主装束、雅楽、読経……いったいいつの時代のどこで起きていることなのか。
この「お水取り」そのものの由来もわからない。近年よく語られるのは、次のような物語である。
■松明にご利益は、ほんとうにないのか
3月12日、通称「お水取り」第12日目の午後7時すぎ、タクシーを大仏殿裏で降り、そのまま直進すると二月堂の下に行き当たる。お水取りの期間、タクシーは堂下まで入れず、規制線から10分ほどの距離を歩くことになる。
■「お水取り」の全貌を知る、昭和の名著
昭和60年に刊行された『東大寺お水取り 二月堂修二会の記録と研究』は圧倒的な書物である。外箱付き帙風函入り本文288ページ、引き出し10ページ。初版は、1万9500円と高価だったが、現在は普及版(5775円)が刊行され、手に入れやすくなっている。
本文はゆるやかな3部構成となっていて、第1部は、80ページのオールカラーで、参籠する練行衆(14日間、厳しい行を担う僧たち)が日常で使う火を別にし、精進生活に入る別火坊と本行までの準備一切、本行第1日目から破壇、満行、涅槃講にいたるまで、小学館の社員カメラマン品田佳彦が10年間で撮影したおよそ8000枚のフィルムから厳選した写真をもとにルポルタージュする。
■「お水取り」と称される儀式
さて、お水取りである。あとで詳しく記す『東大寺お水取り 二月堂修二会の記録と研究』(小学館、1985年)という一大書物に載る宗教学者・中村元氏と北河原公典氏の文章から、まほろば検定教科書ふうにまとめると、お水取りとは、次のような行事となるようだ。
■気がつけば、リュックがまだ空だった
短い1日が終わりつつある。藤森さんの文章に導かれて朝いちばんに新宿を発って、昨年訪れた尖石の風景を思い浮かべながら、小林先生に平出遺跡を案内していただき、そのまま和田峠へ。これら3か所は諏訪湖を中心にちょうど半径15キロメートルの円軌道上にある。5000年前には一度も諏訪湖に降りずに往来できる道で結ばれていたかもしれない。
今回は、実際に「ツイッター」の始め方をご紹介します。
用意するのは、インターネットに接続できる環境と、メールアドレスです。インターネットに接続できる環境とは、パソコンなどの機器と、プロバイダーなどと契約した回線のこと。インターネットやパソコンなどの世界では、「パソコンが使える環境」「外出先でもインターネットが使える環境」といったように、その目的(例:インターネットにつながる、パソコンが使える)ができる状態のことを指して“環境”と呼びます。頻出する表現なので、覚えておいてください。
少し話は逸れましたが、要はインターネットが使える状態なら大丈夫です。『WEBサライ』をご愛読いただけていれば問題ないはずですので、ご安心ください。
■「かもしかみち」から「みやこみち」へ
平出遺跡からじつはもうひとつ、貴重な遺物が出ている。
「昭和22年の調査で、ここから平安時代と思われるめずらしいものが見つかったんです」
この年の発掘は小規模ではあったが、平出には縄文から平安時代まで、途中数百年の断絶をのぞき、連続して人が住んでいたということが明らかになったと小林先生(詳しくは、前回参照)から教わった。平安時代とはずいぶん時代が下がる。縄文5000年の悠久に比べれば千年前の遺跡など、平城京の奈良、平安京の京都、都の本家に任せておけば十分のような気もするが。
■『かもしかみち』を生きる
藤森栄一氏の孫弟子にあたる方が、木曽街道の東の起点、信州塩尻市の平出(ひらいで)博物館の館長をされていると聞き、『かもしかみち』を手に、会いに行った。
塩尻といえば日本ワインの銘醸地。ワインの仕事でお世話になっている塩尻市のTさんの紹介で博物館に電話をすると、すぐ館長が出られて、「それなら博物館ではなく、遺跡でお会いしましょう」、そう言ってくださった。
小林康男さん、60歳。『かもしかみち』の解説を書いた明治大学・戸沢充則氏の教え子であり、藤森氏の孫弟子にあたる(上写真は、平出遺跡を案内中の小林康男先生)
小林さんが館長をつとめる平出博物館は、茅野市の尖石(とがりいし)遺跡とならんで縄文の出土品が数多く出ている平出遺跡のそばに立つ。
平出遺跡が、規模の大きな縄文から平安時代にかけての集落として注目され、本格発掘にむけて準備室が設置されたのが昭和24年、当時、弥生時代の大規模遺跡として全国に名を馳せた静岡県の登呂遺跡発掘の2年後のことである。
■「野獣たちの歩む人知れぬ路」へ
1冊の本を手に西へ向かった。本の名を『かもしかみち』という。今をさかのぼること5000年もの昔、八ヶ岳をとりまく高原地帯には個性あふれる土偶をつくった縄文の人々が暮らしていた。かれらはどういうわけか里に下りることなく、高原でムラを営み、けものみちを自在に行き来しながら猟で仕留めた獲物や、採取したドングリやトチなどを食み、自然の一部となって暮らしていた、らしい。
そんな縄文人の姿を忘れがたい文章でまざまざと見せてくれた人がいた。考古学に命をささげた藤森栄一という人である。
岩のようにごつごつしながら底光りする美しい文章。けれども思索の対象が縄文から現代人に向けられると岩の塊は壊れ、剥片となった鋭利な批判は書き手自身をも切り裂くかのごとく容赦がない。この質感、なにかに似ている。黒曜石とはこのようなものではなかったか。
『WEBサライ』の豪華プレゼント企画にご応募いただきありがとうございました。おかげさまで、たくさんの方からアクセス、ご応募をいただきました(当選者の発表は、賞品の発送をもってかえさせていただきます)。
■サライってなんだ
日本テレビ「24時間テレビ」の放送前日になると、毎年きまってアルバイトの学生君にこう注意をうながすことにしている。「明日は何件か問い合わせがあるよ、サライってどういう意味ですか、ってさ。答えられるようにしといてね」。
放映日の翌朝、たまたま席で仕事をしていたりすると、やっぱり電話が鳴って、学生君が見えない相手に向かってたどたどしく説明をしている。「ほんとにそういう意味なの、ボクちゃん適当なこと言ってないよね」、背中で聞いているほうが心配になるくらいたどたどしい。ところが最初の電話で上手に説明ができて、相手が納得してくれたばかりか感心などしてくれたりすると俄然自信が出てくるものなのか、もう3本めくらいになると受話器を取る手に迷いなく、「はい、はい、それでしたら、ペルシャ語で宿という意味です。そうなんです、サライはペルシャ語です、ええ、宿、ペルシャ語で宿という意味なんです」と、声に脂がのりきって、聞き手のお腹が張りそうなくらいの勢いである。しかし――。
世界は「日常」の風景で溢れてる
一人ひとりの、愛すべき人生
登場人物は世界中の60歳。舞台はいつもの風景。台本や演技は一切なし。そして、主人公は貴方の心。「グローバル・ビジョン」、こんなドキュメンタリー番組を、ずっと待っていた。
ドキュメンタリー番組「グローバル・ビジョン」の放送テーマ「世界の60歳」には、いまを生きる世界中の人々が見せてくれる、日常の風景が描かれています。
今回、WEBサライでは「世界の60歳(Part2)サンプルDVD」を抽選で100名様にプレゼントいたします。(※ 募集は終了いたしました。たくさんの応募ありがとうございました。)
12月12日公開の映画『ジュリー&ジュリア」公開を記念し、英語料理教室NIKI’S KITCHEN(http://www.nikikitchen.com/)キャシー先生の教室(料理内容は未定)へ、1組2名さまをご招待します。
キャシー先生の2月~4月に開催される教室で、当選した方のご都合の良い日程に合わせていただいてのご参加になります。(※ 募集は終了いたしました。たくさんの応募ありがとうございました。)
宇宙の謎を解く最先端の科学から、環境エネルギー分野に関する新たな技術が生み出されています。
世界天文年2009日本委員会公式イベント「宙博2009」は、日本が誇る科学技術の最先端と、そこから誕生する環境エネルギー革命にスポットを当て、各種の講演・展示や親子で参加できるワークショップなどを通して、最先端の技術をわかりやすくお伝えするイベントです。
今回、WEBサライでは「宙博2009 チケット(2枚セット)」を抽選で20組40名様にプレゼントいたします。ぜひご応募ください。(※ 募集は終了いたしました。たくさんの応募ありがとうございました。)
静謐な空間で名作を眺め、著名建築家設計の館内を散策、手入れの行き届いた庭で寛ぐ--本日発売の『サライ』12号では、身近にある「知」と「安らぎ」の場所である美術館の楽しみ方を特集しています。
11月はIRB(国際ラグビーボード)より、ウインドウマンスとして、国際試合を行うことになっており、本年は、カナダ代表と対戦することとなりました。
対戦相手のカナダ代表とは、2007年、フランスにて行われました「ラグビーワールドカップ予選プール」にて、試合終了間際にトライ、コンバージョンを決め、同点となった試合以来の対戦となります。
本大会は、日本代表にとって、当時の決着をつける戦いとなります。
今回、WEBサライでは「リポビタンDチャレンジ2009 日本代表 対 カナダ代表 自由席 チケット(第2戦目 東京)」を抽選で20組40名様にプレゼントいたします。ぜひご応募ください。(※ 募集は終了いたしました。たくさんの応募ありがとうございました。)
「ゴルフが少しでも上手くなりたい、いや絶対上手くなってやる!」と思っている皆様へとっておきのニュースです。
―『フェニックスゴルフアカデミー』が贈る、夢のような4日間のゴルフレッスンプログラム―
『フェニックス・メソッド』が
誕生しました!
毎年、タイガー・ウッズを始め、世界のトップ・プロが参戦し、白熱した戦いが繰り広げられる『ダンロップフェニックストーナメント』。その会場となるのが、宮崎県にある『フェニックスカントリークラブ』である。このゴルフ場は、『フェニックス・シーガイア・リゾート』と呼ばれる一大リゾートの中にあり、まさに全国のゴルフファン垂涎のゴルフ・リゾートだ。この秋、実践プログラムに沿った質の高いレッスンを受けられる『フェニックスゴルフアカデミー』では、トップレベルのインストラクターによる長期滞在レッスンのプログラムがスタート。その魅力をご紹介しよう。
今日は朝から日本全国、いえ、世界中、日食一色です。『サライ』編集部のある東京・千代田区は残念ながら曇り空。日食ショーを満喫できる条件ではなかったのですが、小学館本社ビル屋上から、うちのアルバイト福島啓太君(20歳)が部分日食の写真撮影に成功。彼の愛機、キヤノン「パワーショットG10」を4倍ズームにして撮影できたそうです(写真の右側の黒い部分は建物の一部です)。適度な雲り具合で、ちょうどよかったのかも知れません。
サライ誌創刊から続く人気連載「サライ・インタビュー」に登場した約400余名の発言から、現代人が生きるためのヒントとなる名言・金言を厳選した「千年語録」。
サライ誌創刊20周年を記念して、その千年語録の中から、その1部を抜き出し、上品なスクリーンセーバーを作りました。無料でご利用いただけます。